うつ病なんて!宗教なんて!詐欺になんて!テルオの“神の子”体験談から逃げる準備の大切さ教えます!

shukyo

 
こんにちは。テルオ(@undoteruo)です。

自分に限って、うつ病になんかならない
自分に限って、自殺なんかしない
自分に限って、ストーカーになんかならない
自分に限って、詐欺になんか引っかからない
自分に限って、クスリなんかに手を出すはずない

こう思っている人間、特に若い人、結構多くないですか?
でもこの “自分に限って” は非常に危険な思い込みです。

僕も元々弱い人間ではありますが、「自分に限ってうつ病になんかならない」こう思っていましたが実際うつ病の一歩手前の適応障害になりました。

そして今思えば、「あれストーカーだったな⋅⋅⋅」なんてことも体験しました(笑)。

いや、笑い事じゃないんだけどね!

 

人間は弱っている時に何かにすがりたくなるものです。それが良い方向に向かうものならばいいんですが、弱い人間を狙っているヤカラも大勢います。
今日は、そんな弱い人間を目の当たりにした僕の体験談を話してみたいと思います。

僕は小学生にして、「何にでもすがりたい心が弱っている人間」を大勢目の当たりにしました。

僕は一時期、そんな心が弱っている大勢の人間達に、
神の子
と崇められていた時代があります。

今日はそんなテルオの神の子時代の話から、「自分に限って」という思い込みの末路と「逃げるための準備の大切さを」を話していきたいと思います。

 

宗教に助けを求める人間たち

「神の子」なんて聞くと笑い話に思えるでしょう。
天才サッカー選手
天才格闘家
神の歌声

「神」と人々が呼ぶものはいくつもあります。
ですがこれらは、「まるで神のよう」なのであって神様と思われているわけではありません。
ですが僕は「まるで神のよう」ではなく「神様」と人々に思われていました。現実の話です。

プロフィールでも少し触れていますが、僕が小学生の頃両親が離婚しました。僕が小学校5年生の頃の出来事です。
テルオが神の子になったのは、両親の離婚の少し前のことだったと記憶しています。

 

僕の両親は喧嘩が絶えませんでした。
離婚するしないに悩んでいた僕の母親は、“宗教にハマる” という定番の道を歩むことになります。

悪口を書くつもりはないんですが、検索してみたところ「〇〇会」は今も存在している団体のようなので一応団体名は伏せておくことにします。

その宗教はレベルアップしていくと「カミタマ(仮名)」という名のガーゼに包まれた “何か” が紐にぶら下がっているネックレスで、それを確か僕の記憶だと、買うんだと思います。
それを身に付けた信者は人に手をかざすだけで病気やなんかが治せるのだそうです。

小学生の僕は夏休みの間中、めでたくレベルアップした母親に連れられて道場に通っていました

そんなある日、幹部的な人が僕に言いました。
「テルオくんにも手かざしやってあげる」

特に拒む理由もない少年テルオは “手かざし” を受けることになりました。
正座して向かい合い、かざされれる方は目をつむり、かざす方は何かお経的なものを唱えながら約10分間相手に手をかざします。
僕の母親はまだ新米なので、お経的なものが書いてある本を見ながらの手かざしでしたが、さすが幹部は暗記していました。

こうして人生初の手かざしを体験したテルオでしたが、終了直後に事件は起こりました。
幹部のおばちゃんはこう言ったのです。

 

この子は神の子かもしれない

コノコハカミノコカモシレナイ

 

「テルオくん、手かざしの間中ずっと何か話してなかった?」
手かざしの間中ずっと僕の口が動いていたのだと言います。

「いや、何も話していないと思うけど⋅⋅⋅」
勿論僕は何も話してはいません。

「いや、間違いなく口が動いてた!」
「もしかすると⋅⋅⋅〇〇様がテルオくんを通して私達に何かを伝えようとしているのよ!」

ザワザワ⋅⋅⋅ザワザワ⋅⋅⋅

〇〇様ー!⋅⋅⋅〇〇様ー!⋅⋅⋅〇〇様ー!⋅⋅⋅

信者が皆僕に手を擦り合わせながら「〇〇様ー!」と連呼し出しました。

神の子誕生の瞬間です。

 

今思えば恐怖体験アンビリーバボーだが、当時の少年テルオは神の子と崇め奉られて悪い気はしませんでした
皆何かに頼りたくて修行している信者ばかりなのです。目の前に神の子が現れたのだから、そりゃ自然とこうなるのでしょう。

だがしかし、神の子時代の記憶があまり無いので、多分その直後くらいに僕の母親は〇〇会を脱退したのだと思います。

理由は〇〇会に不信感を抱いたからなのか、離婚が決まったからなのか、
神の子である僕に普通の人間としての人生を歩ませたくて僕を〇〇様から隠したかったのかは定かではありませんが。

 

そして時は経て、二十歳くらいになり福島に帰省した際に母親とたまたまその〇〇会の話になりました。

「お母さん、そういえば米田さん(仮名)てまだ〇〇会やってるの?」
米田さんというのは僕の母親を熱心に〇〇会に誘った母の友人のことである。

「まだやってるらしいけど、それよりこの前米田さんと話したんだけど⋅⋅⋅実は⋅⋅⋅」

実は⋅⋅⋅
米田さんの娘が最近交通事故で亡くなったのだという。ほぼ即死だったらしい。
米田さんの娘さんとは何度か会ったことがありました。僕よりいくつか年上だった気がします。

「でも、そんなに熱心に〇〇様を信じて手かざしやってても娘が死ぬんじゃ、意味ないじゃん」

「でも、米田さんはこんなこと言ってたの⋅⋅⋅」

この後僕は米田さんの言っていたというその言葉に衝撃を受けました。

「〇〇様を信じて仕えていたからこそ娘は苦しまずに天国に行くことができたんだと思う⋅⋅⋅」

ドラマでしか耳にしたことのないようなその台詞に耳を疑いました

 

だがしかし⋅⋅⋅と思う。

もし、娘が事故で死ぬことが運命だったのだとしたら、米田母もまた、〇〇会に入会したのは運命だったのではないか⋅⋅⋅。
もし一人だったら、娘の突然の死をとても受け入れられなかったのではないか。
〇〇様になんとか心を支えられているからこそ、娘の死を受け入れることができているのではないか。

手かざしの効果など僕は微塵も信用してはいないが、手かざしによって救われる人間がいることもまた事実のようだ。

もし今、僕が米田さんに手かざしを受ければ、僕を通して神の言葉が米田さんに伝えられるのだろうか。

いや、
神は人間が造り上げるものであって、神に言葉などないし神の意思など存在しない。あるのは自分の意思だけ。
そう信じている僕なので “もし” は、無い。

「霊が見える」と言う人は実際見えるのだろうし、「ちっちゃいオッサンを見た」と言う人は、実際見たのだろう。
そして、「神の子を通して神が私達に何かを伝えようとしている」と言う人もまた、実際神の子を通して神が私達に何かを伝えようとしていると感じたのだろう。

しかし残念なことに僕は「神が僕の口を通して皆さんに何かを伝えようとした」とは微塵も思ってはいない。
そこが残念なことではあるが、思っていないものは仕方がない。

米田さんは今も誰かに手をかざし、何かを造り上げているのだろうか。

話は変わりますが、僕は歯ぎしりと寝言が多いようなんです。寝ているときのことなので自分では全く気づきませんが。
今朝も妻たんに言われました。

 

「夜中あなたの口動いてたよ」

 

テルオ的まとめ

癖で変なオチを付けてしまいましたが(笑)、実際にあったことなんですよコレ!

米田さんにとってみれば良かったの⋅⋅⋅かもしれませんが、こんなただの一人のはなたれ小僧を本気で神と信じる人間がいるんです。
多分この方達も以前は「自分に限って」と思っていたでしょう。確か数十人はいた気がしますね。

その頃、もっと上の偉い人に紹介したいなんて話もあった気がします。
実際に紹介されていたら僕は本当に弱った人間達にとっての神になっていたのかもしれません。

それで救われるのならば良いのかもしれませんが、こういう人達は何でも信じてしまうでしょう。僕の母親も夫婦仲の辛さから神を頼ったんですから。
そして、こういう人達を狙っているヤカラも大勢います。

だから!「自分に限ってそんなことない!」は危険なんです。
「自分ももしかしたら⋅⋅⋅」と健康な状態の頃から備えておく必要があると感じます。

備えておくというのは、逃げ道を準備しておくという意味です。
実際にその状況が訪れてからでは逃げ道は見付けられません。迷子のまま行方不明になるか、「こっちだよ」と言って悪いヤツらが近付いてくるかの、どちらかです。
いや、別にこの宗教を批判しているわけではないので「どちらかの可能性が高い」としておきましょう。

いずれにしても、自分では冷静に判断できないので何色にでも染まってしまう危険な状態です。

だからこそ、「自分に限って⋅⋅⋅」という思い込みは捨てて自分ももしかしたら⋅⋅⋅」と健康な状態の頃から備えておくことが大切なんです。
 

 
 
 
 
 
 

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