こんにちは。 自分はてっきり鬱病だと思って病院へ行ったら適応障害と診断され た雲藤テルオです。
当時はよくわからない適応障害と診断されたため僕も「 適応障害って何?」ってな感じでしたが、 今ではよく国会議員がなる〝嘘くさい病気〟 ということで有名になりましたね。
適応障害というのはインフルエンザみたいに陽性陰性がハッキリと 出るものではないため、その診断は医者の判断に任されているところが大きいようです。
今回は(関連記事:「仕事ができない辛い死にたい」 から逃げ生き延びる7つの方法)では省いて話していなかった、
この記事の内容はヽ( ・ิω・ิ )
● 適応障害と鬱病の違い。
● 僕が適応障害になった会社での事件の内容。
● 適応障害と鬱病の違い。
● 僕が適応障害になった会社での事件の内容。
という内容です。
似ているようで全然違う「適応障害と鬱病の違い」と共に、僕がかかった先生に聞いてみた「 適応障害と鬱病の医者の判断基準」もお伝えします。
ついでに僕の「我慢して仕事を3年続けたら死にかけた話」もあるので、 興味のある方はこちらの方もぜひ覗いて行ってください!( ・ิϖ・ิ)
もくじ
適応障害と鬱病の違い「特徴」&「医者の判断基準」
・適応障害の特徴
明確な「心理的」「社会的」ストレスがあり、 そのストレスの始まりから3ヶ月以内に「情緒的」「行動的」 症状が現れ、社会的機能が著しく障害される精神疾患。
ストレスの原因には「対人関係」「事故や災害」「
これらのストレスが引き金となり、
また、
適応障害には明確な原因と、その症状が現れるまでの期間も明確で、 その原因を特定できれば除去することが可能です。更に治るまでの期間もある程度明確なのが適応障害の特徴です。
僕の場合には原因が仕事の「人間関係」と「環境」だったので、 会社を辞めたことによりソッコーで改善しました。
適応障害は発症している最中においても、ストレスにさらされない環境下では症状が一時的に改善される場合が多いのも特徴的。
僕の場合は、仕事中は勿論、 朝会社へ行こうとするだけで具合が悪くなっていました。
仕事中も以前は簡単にできていたことなのに手の震えや集中力が無 くなりミスを繰り返し、仕事に支障が出ていました。
でも、休みの日のショッピングや、3連休初日の旅行とかではわりと元気でした。
でも元気なのは初日だけで、 出勤日が近づくに連れて元気がなくなっていきます。
・鬱病の特徴
過度なストレスにより、憂鬱な気分が毎日続き、 興味や喜びが感じられなくなる精神疾患で気分障害の一つ。
原因が複数ある場合が多く原因を一つに特定しにくい。また、
「不眠や過眠」「食欲不振や過食」「頭痛」「倦怠感」
病状が進行すると「自分には価値がない」と感じたり「罪悪感」
また、その原因から離れている間も症状が持続する。
治るまでには時間がかかり、3ヶ月~1年くらいが目安だが、
鬱病は実に厄介な病気です。
これといった原因がない(特定できない)場合が多く発症の引き金がないことも多いのが大きな特徴。
鬱病も基本的に過度なストレスによるものだが、 ストレスから離れていても一時的な改善も薄く、 楽しいことでも楽しめない。
自分の心のコントロールが難しくなるため「抗うつ薬」 の服用と「休養」が必要になりますが、 発症の引き金がないことから、治ったと思っても良くなったり悪くなったりを繰り返す人が多いようです。
・適応障害と鬱病の違い
適応障害と鬱病とでは主にこの4点に違いがあります。
1.原因
2.症状の軽減
3.薬の服用
4.治るまでの期間
1. 原因特定の差
特定の原因が必ずある適応障害に対し、
発症の引き金となるタイミングも適応障害の場合には明らかなのに 対し、鬱病の場合には不明なことから、 鬱病は丁寧な治療が必要です。
2. 病状軽減の差
適応障害の場合には原因が明らかで、
3. 薬の服用の効果
適応障害の場合にも必要であれば薬が処方されますが、
適応障害の僕にも病院から薬が処方されましたが、 僕はすぐに原因から離れることができたので薬は飲まずに治りまし た。
ですが鬱病の場合には「脳の中で障害が起きている」状態のため、 その治療のために「抗うつ薬」の服用が必須のようです。
4. 完治までの期間の違い
適応障害の場合には、
それに対し鬱病は「何ヶ月以内」 という期間が定めにくいという違いがあります。
また治ったと思っても原因も引き金も特定できなく脳に障害が起き ているため、 良くなったり悪くなったりを繰り返すのが鬱病というものです。
鬱病は長く丁寧に付き合っていかなくてはいけないんですね。
・適応障害と鬱病の医者の判断基準
適応障害と鬱病には医学的にも明確な判断基準が定まっているわけ ではないようです。
僕が後から心療内科の先生に「 なぜ僕は鬱病ではなく適応障害と診断されたのか」 と尋ねてみたところ、 その先生はこういう基準で今回僕の適応障害を判断したとのことでした。
● 明確な原因があるか
● その原因から離れている間も症状が持続しているか
これをまずは確認したとのことでした。 これを適応障害と鬱病の一つの判断基準にしているようです。
先生も診断を出すまでに僕と色々話をしましたが、 その中で僕には「仕事」「上司との人間関係」「トラブル」 といった明確な原因があることを確認できたとのこと。
そして、仕事が休みの日や別なことに没頭しているときには症状の改善が見られることから、 先生は適応障害と診断したとのことでした。
僕の場合には診断は比較的〝簡単だった〟と先生は言っていました(笑)。
僕の場合は適応障害の特徴にピタリでしたからね。 簡単だったのでしょう。
なので、 人によっては適応障害の場合であってももう少し診断に時間がかか る場合もあるのだと思います。その場合には先生ももう少し違う角度で多くの質問をしたのでしょ う。
そして最後に「原因が明らかに仕事なので、 仕事から距離をおかないと治りませんよ」と言われました。「 診断書が必要ならば書きますから後からでも言ってくださいね」 と。
病院を出てすぐに処方箋を破り捨てたので覚えていませんが(笑)、僕にも何らかの薬が処方されました。
僕はこのとき処方箋を破り捨て診断書も貰わなかったため、後になり「損」をしていたことに気付きました。
適応障害の診断書があれば「社会保険給付金」といって、退職後も最大28ヶ月間国から給付金を貰うことができました。
こういう僕のような損をしないために、 こちらの社会保険給付金の詳しい内容をぜひ参考にしてみてくださ い!▼
適応障害の診断書があれば「社会保険給付金」といって、退職後も最大28ヶ月間国から給付金を貰うことができました。
こういう僕のような損をしないために、
でも先生の言葉通り、仕事を辞めたら適応障害は治りました。
今思えばたぶん、病院を出て「仕事はソッコーで辞めよ( ・ิϖ・ิ)」と心に決め処方箋を破り捨てたあの瞬間に、 僕の適応障害はほぼ8割は治っていたような気がしてます。
我慢して仕事3年続けたら死にかけた話
僕もその当時は鬱病と適応障害の違いもわからなかったので、 てっきり「きっと鬱病って言われるんだろうなぁ···」 と思っていたんですが、想像していなかった「適応障害」 と診断され「ん?鬱病よりは、マシなのかな?」って感じでした。
でも今思い返すと、
適応障害でこれなんだから、 鬱病はもっと大変なんだろうな···
なんて思います。
最後に、僕の適応障害の原因発生から退職までの流れも誰かの参考になると思うので、簡単に話しておきます。
適応障害を患っている最中に起こった、僕のヤバイ異常な「 行動」と「思考」についてはこちらで▼詳しく話しているので、
今回は、会社で起きた出来事を中心に話していきます。
・適応障害になりやすい性格
● 真面目すぎる
● 理想が高すぎる
● 完璧主義
● 人に気を使いすぎる
● 人間関係(コミュニケーション能力)が下手
と、こういう性格だったため、キッカケさえあればいつでも適応障害発症のリスクがあったのだと、今思えばそう思います。
そしてたぶんこれからも。
ポイント1
適応障害になりやすい性格を元々持っていた。僕の適応障害の原因は、ある一人の上司との人間関係でした。
そこから全てが始まりました。
その始まりから退職までは約3ヶ月ほどです。
早いですね。
なので今思えば僕は、適応障害と診断される前から実は退職のキッカケを探していたのかもしれません。
それは、 以前にも入社間もない時期に別な上司との人間関係で数日仕事を休 んだことがあり、その時も「辞めたいなぁ···」 なんて思っていたんですが、 その上司が飛ばされたためそのまま僕は仕事を続けることができました。
でもこの時に「 こういう人間は他にもいるだろうからこれからまた同じような人間 に出会ったら、また同じようになるんだろうな···」 なんて考えていました。
年上の知り合いに相談したら「とりあえず3年は続けなきゃね」というアドバイスをもらい、「そうだよな『 仕事は3年続ける』が “日本の法律” だったよな」と、忘れかけていた学校で学んだ法律を思い出し、 とりあえず3年頑張った4年目に、事件は起こりました。
・原因発生
僕の仕事は、学校の給食室で給食を作る調理員の仕事でした。
入社から約4年くらいが経ち、 一般社員から副責任者へと昇格し別な小学校へと異動することにな り、異動先でその上司と出会いました。
昇格しての異動人事だったので不安もありましたが、 初めての副責任者という責任と、気合いも多少入っていました。
その上司に対して最初は「いい人だな」という印象でしたが、 すぐに僕は違和感を感じはじめました。
何となく、その人間性への違和感です。
すぐにその違和感の正体が判明しました。
以前にもその上司は、パワハラの問題を起こした過去があると噂を耳にしたんです。
僕が何となく感じていた違和感とは、「 頑張って笑顔を見せてはいるけれど、 何かを我慢し自分を抑えているんじゃないか」という違和感でした。
ポイント2
パワハラ気質は隠せない。でも実は、異動の話があったときに本社の部長に「テルオ君、 何かあったら私に直接連絡してね」と言われ、 部長の携帯番号を個人的に渡されていました。
当時は、 話したこともあまりない部長が「直接私に連絡して」と携帯の番号を手渡してきたことに若干の引っ掛かりはあっても特に深くは考え ませんでしたが、「こういうことだったのか」と繋がりました。
出会いから間もなくして、 上司の言動や態度に徐々に変化が現れ始めました。
イライラの我慢が抑えられなくなる頻度が徐々に増していったので す。
ポイント3
自分の「危険察知能力」の直感は大体正しい。今思えばこの段階で部長に相談しておけば良かったのですが「 まだそこまでじゃないかな···」と僕は判断していました。 社会経験の少ない僕は完全に見誤った判断でしたね。
ポイント4
相談できる人がいるならば問題が小さいうちに相談しておくと良いそして出会いから約3ヶ月後にその上司はついに爆発しました。
調理中に急に怒り出し、僕に暴言を浴びせかけた後、 調理室から事務所へと引き上げてしまいました。
これが僕の適応障害の最初のキッカケです。
もうこの暴言だけでパワハラですが、でも僕はまだ大丈夫でした。
怒っている理由は全く不明でしたが、 一応他の同僚と謝りに行きました。
どうやら、 副責任者のくせに僕が使えないということもあったようですが、 その上司も理想が高いようで、 他の調理員全体の動きに不満がありそれを溜め込んだ結果の爆発だったようです。
「オレは帰るからお前らで勝手にやれ」
と言われたので、 仕方なく僕は責任者代行として突然全体の指揮を取らなくてはいけ なくなったため、頑張って業務に集中し、 なんとか無事にその日は給食を提供することができました。
一応上司は職務放棄なので、 副責任者として僕が会社に連絡しなくてはと思い、 この時になって初めて部長と連絡を取りました。
・身の危険を感じた
翌日、 その上司も社長から説教されたようで朝礼でみんなに頭を下げて謝 罪していましたが、僕はその数時間後に帰宅し、 それから数日間仕事を休むことになります。
というのも、 上司の謝罪を聞いて他の同僚はどう感じたのか知りませんが、 謝罪はしているけれどその言葉の裏には「 社長に言われたから仕方なく謝るけどお前らがクズなのは変わりな い」というものを僕は感じ取ってしまいました。
言葉を時々呑み込み、 オレが職務放棄したのは悪かったがそれはお前らに問題があるからだ という言い訳と、その横柄な態度。
この上司の態度に僕は身の危険を感じ取ったのです。
人間性など変わるはずもなく、 また我慢する日々に戻りまた繰り返すだろうと容易に想像ができま した。
なぜこの言葉をみんな素直に受け取っているのか僕には謎でした。
これが僕の適応障害の2つ目のキッカケです。 最初の暴言なんかよりも実はこっちの方が自分の中で決定的な出来 事だったように思います。
僕が一番不満だったのは、上司にではなく、上司を排除しようとせずに受け入れている同僚達に対してでした。
僕の中では危険人物判定陽性の結果が出ているので当然みんなもそ う思っているのだと思い、 みんなで団結し会社へ責任者の交代を訴えるなどすることになると 思っていたんですが、そうはならなかった。
これが本当に謎でした
ポイント5
「危険」の感じ方には個人差がある。結果、その件で排除されたのは〝考え過ぎ〟な僕だけでした。
その日のうちに会社に僕は「もうあの人とは一緒に働けない」 と伝え、その後何日か休むことになります。
・社長が笑っていた
今後どうするかを話し合うために僕は本社へ呼ばれました。
社長もその上司に原因があることはわかってはいましたが、 もうその上司はみんなの前で謝罪し仕事に復帰していることから、 上司の職務放棄の件は一件落着。あとは僕の問題です。
僕はてっきり問題の上司はすぐに飛ばされるだろうと思っていまし たが、1回の謝罪で終わらせるようだと知り、そんな会社の対応にもがっかりしました。
僕は異動したいことを伝え、 異動の件は社長も了承してくれましたが、その条件として「 夏休みまでの残りの1週間は今の現場へ復帰しろ」 と言われました。
この時は、あと1週間ほどで夏休みになる時期で、 その夏休み明けの2学期から別な現場に異動させてあげるというこ とです。
「 またどこかで社員研修とかで顔を合わせなきゃいけなくなるかもし れないんだから、 今学期も残り数日だから復帰してケジメをつけた方が今後のテルオ 君のためだ」
僕は現場復帰するのはいいが上司と一緒の空間にいることも嫌だっ たため社長に身の危険を感じていることを伝えましたが、社長は「考え過ぎだよ」と言って笑っていました。
ポイント6
真剣に身の危険を訴えたときに相手に笑われると、僕は仕方なく現場へ復帰することにしました。
残りの1週間は心を無にして頑張りました。
僕の人生の中で一番無駄で意味の無い〝ケジメ〟の1週間でした。
会社を辞めて数年経った今でもあの1週間のケジメが何かの役に立
今後も何かの役に立つことはたぶん無いでしょう。
・異動しても楽にはならなかった
数日休んで現場に復帰し心を無にしてなんとか数日乗りきり、 夏休み明けに別の小学校へ異動しました。
別の小学校とはいっても、異動前に所属していた小学校でした。
元々その現場での僕の仕事ぶりを見て会社が僕を昇格させたわけで すから、人間関係も良く、 僕にとって働きやすい最良の人事といえました。
異動すれば全て解決する
そう考えていました。
しかし、異動しても治るどころか、僕の精神状態は更に悪くなっていきました。
問題の上司との関係も切れたはずなのに、 以前はできていた仕事でもミスを繰り返すようになりました。
作業中も手が震えて息が詰まるようになりました。
人から注意されると言い返したりと、常にイライラと不安が交互に襲ってくるようになりました。
原因が「上司」ただ一つだったのが、 会社への対応にも不満を持ったことから、原因か2つに増えたんですねたぶん。
ポイント7
原因が「会社全体」へと広がってしまった。・噂に追い詰められた
異動しても解決しませんでしたが、 僕はなんとか根性で頑張り続けていました。
異動先の上司からは「もう異動したんだから大丈夫でしょ?」 と言われ、他の同僚からは「この前佐藤さんから全部聞いたよ。 テルオさんも部長にチクるのはよくなかったよね」 と言われました。
異動したんだから大丈夫
普通そう思います。僕もそう思っていました。
でも、誰だか知らない佐藤さんという人がなぜか僕のことを話していて、更に、 上司の職務放棄を会社へ報告するというのもなぜか「チクる」 というものに変わっていました。
僕は今回の件について社長と部長以外とは話していなかったので、 僕以外の誰かから話が広がっているようでした。
ある時、全社員が集まる研修会で会場の席に一人座っていると、 僕の隣の席に座ったどこの現場の人間かも知らない2人がこんな話 をしているのが聞こえてきました。
「○○小学校の副責任者やらかしたんだってね! なんか知ってる?」
「なんか、喧嘩したみたいですよ!」
「その副責任者がキレたって!『殴った』って聞きましたよ!」
「どっちが悪いのよ?」
「なんかそいつは来なくなっちゃったみたいだから、 そっちが悪いんでしょうよ!」
僕の行動は、
キレて上司を殴りその後出勤してこない人
というものに変貌を遂げていました。
ポイント8
戦争が起こる原因を知った気がする。最初誰のことを話しているのかわかりませんでしたが、 途中から僕のことだと気づきました。
僕の隣で、僕の知らない2人が、僕のことを話題にし、 勝手なストーリーを展開していました。
どうやら会社全体で僕のことが結構な噂になっているようだと知りました。
エゴサーチしてる芸能人ってきっとこんな感じなんだろうな··· と思い少し笑えてきました。
それからは、盛大に尾びれがくっついて噂が回るその構造、この会社組織そのものが気持ち悪くて仕方がなくなりました。
これが僕の適応障害の3つ目のキッカケです。
原因が「上司」「会社」「社内の全ての人間」 という3つに増えました。
・社長の優しい言葉
そして僕はまた出勤することができなくなりました。
また本社へ呼ばれました。
社長からは「休むなら病院へ行って診断書をもらってこい」 と言われたので仕方なく病院へ行くとそれが、「適応障害」という診断でした。
それをまた社長室で報告しました。社長にはこう言われました。
「ウチの社内にも何人か鬱病とか患ってる社員がいるけど、 みんな病院通いながら薬とか飲んで頑張ってるんだから、テルオ君も薬とか飲んで頑張ってみなよ」
僕は病院から出された処方箋を破り捨てた瞬間から会社を辞めるこ とをほぼ決めていましたが、この社長の〝優しい言葉〟で「この会社を辞めるのが正しい」と確信しました。
これが僕が会社を辞める最後の決定の瞬間でした。
薬を飲んでまで働かねばならない仕事なんてこの世にあるはずがな い
そう思いました。
ポイント9
「薬飲んで頑張れ」で頑張る気が完全に失せた。そのパワハラ上司には注意をしただけで責任者としてそのまま職務 続行とし、僕には薬を飲んで頑張れと言う。
そんな会社の対応にもガッカリし、 噂の気持ち悪さにもウンザリしました。
まぁ、 会社としては僕のような社員にはそういう対応しかなかったんだと 思いますが、 これまで何度も事件を起こしているパワハラ社員に対する対応とし ては「古いな」と思います。
・僕の頭の中は結構ヤバかった
入社から適応障害になり退職するまでは約4年半でした。
年上の先輩からのアドバイスと、 真面目にこれまで受けてきた教育により、仕事を我慢し3年続けた結果僕は適応障害になりました。
社会人の常識としてみんなが言う「仕事は3年続けろ」 を実践した結果が、精神疾患です。
今回は僕の適応障害の原因発生から退職までの流れを簡単に話した だけなのでアレですが、 適応障害当時の僕の頭の中では結構ヤバいことを考えたりしていま した。
その僕の頭の中の話も入れ込むと長くなるので、 適応障害当時の僕の仕事中のヤバい思考や、 休んでいる間の僕のヤバい行動についても見てみたい方はこちらを▼
僕は適応障害でしたが、結構ギリギリのところまで行きました。
退職後に知ったこと
会社を辞めてから1年ぶりくらいに以前の同僚とカフェでお茶をし て話す機会がありました。
あのパワハラ上司はその後また何かやらかしたようで、 責任者を降ろされ、 所属先も決まらないままその日しのぎの臨時のヘルプ要員として人 出の足りない各現場を回っているらしいと聞きました。
いや、そりゃそうだろうよ(笑)
だってアイツはヤバかったもん!
やっぱり僕の直感は正しかった。
ポイント10
誰が「考え過ぎ」と言っても、どちらの人間を大切にしなければいけなかったのか、 会社はその後気づき反省しているといいんですが、まぁ、 無理でしょう。
今回は「適応障害と鬱病の違い」と、 僕の適応障害の経験談を長々と話しましたが、 ここまで読んでくれた方には最後に、 これだけ覚えて帰ってください。
仕事はただの生活の手段にすぎない。
自分の危険察知能力(直感)は信じておいて損はない。
(関連記事:適応障害・鬱病でもできる仕事) の中でも話していますが、
適応障害の原因が仕事である場合の病院から処方される薬というの は、「『このまま会社に居続けると危険』 という自分の脳からの警告を薬で麻痺させ会社に留まり続けさせるため」のものです。
ただの生活のための手段にすぎない仕事は、 薬を飲んでまで頑張るようなものではないことを、 会社を辞めた後に確信しました。
自分で会社から逃げ出せない方は退職代行サービスを使ってでも、すぐに逃げるべきです。
薬を飲むよりも原因である仕事から離れるというのが一番効果のある方法です。
そして、僕は「病院の処方箋を破り捨て診断書も貰わなかった」 と話しましたが、本当にそれで金銭的な損をしてしまったことに、退職してから気付きました。
何が「損」だったのかというと、適応障害の診断書があれば、退職後も最大28ヶ月間国から給付金を受け取ることができたからです。
社会保険給付金申請のための詳しい条件と、 難解な個人での申請をサポートしてくれる便利なサービスについて はこちら▼を参考に、ぜひ退職前に準備をしておきましょう。
身の危険を訴える僕に「考え過ぎだよ」 と言って笑った社長はべつにおかしな人とかではなく、普通です。 たぶん誰でもそういう反応をするでしょう。
でも他の普通の人はどうあれ、僕にとっては事実考え過ぎなんかじゃなかったわけです。 ターミネーター2のサラコナーのように。
そんな辛い仕事から抜け出し今幸せに生きている僕が解説している嫌な仕事から逃げ生き延びる方法についてもぜひ見てみてください▼