適応障害と鬱病の違い。我慢して仕事を3年続けたら死にかけた話。

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こんにちは。自分はてっきり鬱病だと思って病院へ行ったら適応障害と診断された雲藤テルオです。
 
 
当時はよくわからない適応障害と診断されたため僕も「適応障害って何?」ってな感じでしたが、今ではよく国会議員さんがなる病気ということで有名になりましたね。
 
このように適応障害というのはインフルエンザみたいに陽性陰性がハッキリと出るものではないため、その診断は医者の判断に任されているところが大きいようです。
 
なので、医者と “ズブズブの関係” ならば適応障害の診断は実は容易なんです。
 
 
 
今回は、似ているようで全然違う「適応障害と鬱病の違い」と、ついでに僕が仕事を我慢して3年続けたら適応障害になり死にかけた話」もありますので、興味のある方はこちらの方も覗いて行ってください( ・ิϖ・ิ)
 
 

適応障害と鬱病の「特徴の違い」と「医者の判断基準」

適応障害の特徴

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明確な「心理的」「社会的」ストレスがあり、そのストレスの始まりから3ヶ月以内に「情緒的」「行動的」症状が現れ、社会的機能が著しく障害される精神疾患。

ストレスの原因には「対人関係」「事故や災害」「職場の環境の変化」などがあげられる。

これらのストレスが引き金となり、家庭や学校や職場などでも不適応を起こすが、ストレスにさらされない環境では症状の改善がみられることも多い

また、原因から離れることにより基本的に6ヶ月以内に治る場合が通常。

 
適応障害には明確な原因と、その症状が現れるまでの期間も明確で、その原因を特定できれば除去することが可能です。更に治るまでの期間もある程度明確なのが適応障害の特徴です。
 
僕の場合には原因が仕事の「対人関係」と「環境」だったので、会社を辞めたことによりソッコーで改善しました。
 
 
 
適応障害は発症している最中においても、ストレスにさらされない環境下では症状が一時的に改善される場合が多いのも特徴的。
 
僕の場合は、仕事中は勿論、朝会社へ行こうとするだけで具合が悪くなっていました。
 
仕事中も以前は簡単にできていたことなのに手の震えや集中力が無くなりミスを繰り返し、仕事に支障が出ていました。
 
でも、休みの日のショッピングや、3連休 “初日” の旅行とかではわりと元気でした。
 
でも元気なのは初日だけで、出勤日が近づくに連れて元気がなくなっていきます。
 

鬱病の特徴

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過度なストレスにより、憂鬱な気分が毎日続き、興味や喜びが感じられなくなる精神疾患で気分障害の一つ。

原因が複数ある場合が多く原因を一つに特定しにくい。また、発症の引き金がないことも多い。

「不眠や過眠」「食欲不振や過食」「頭痛」「倦怠感」などの身体症状を伴う。

病状が進行すると「自分には価値がない」と感じたり「罪悪感」をもつようになり、「自殺」を考えることもある。

また、その原因から離れている間も症状が持続する。

治るまでには時間がかかり、3ヶ月~1年くらいが目安だが、その後も良くなったり悪くなったりを繰り返す場合が多い。

 
鬱病は実に厄介な病気です。
 
これといった原因がない(特定できない)場合が多く発症の引き金がないことも多いのが大きな特徴。
 
鬱病も基本的に過度なストレスによるものだが、ストレスから離れていても一時的な改善も薄く楽しいことでも楽しめない。
 
自分の心のコントロールが難しくなるため「抗うつ薬」の服用と「休養」が必要になりますが、発症の引き金がないことから、治ったと思っても良くなったり悪くなったりを繰り返す人が多いようです。
 

適応障害と鬱病の違い

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適応障害と鬱病とでは主にこの4点に違いがあります。
 
原因
症状の軽減
薬の服用
治るまでの期間
 
原因特定の差
特定の原因が必ずある適応障害に対し、鬱病はこれといった原因がない(見つけられない)んですね。
 
発症の引き金となるタイミングも適応障害の場合には明らかなのに対し、鬱病の場合には不明なことから、鬱病は丁寧な治療が必要です。
 
 
病状軽減の差
適応障害の場合には原因が明らかで、その原因から離れていれば楽しいことは楽しめる場合も多いですが鬱病の場合には過度なストレスから離れていても症状が継続してしまいます。
 
 
薬の服用の効果
適応障害の場合にも必要であれば薬が処方されますが、適応障害は原因から離れれば治るものなので、原因から離れることができるならば薬は飲まなくても大丈夫な場合も多いです。
 
適応障害の僕にも病院から薬が処方されましたが、僕はすぐに原因から離れることができたので薬は飲まずに治りました。
 
ですが鬱病の場合には「脳の中で障害が起きている」状態のため、その治療のために「抗うつ薬」の服用が必須のようです。
 
 
完治までの期間の違い
適応障害の場合には、原因が発生してから3ヶ月以内に症状が現れ、原因から離れてから6ヶ月以内に良くなる場合が多いという、期間がハッキリとしています。
 
それに対し鬱病は「何ヶ月以内」という期間が定めにくいという違いがあります。
 
また治ったと思っても原因も引き金も特定できなく脳に障害が起きているため、良くなったり悪くなったりを繰り返すのが鬱病というものです。
 
 
鬱病は長く丁寧に付き合っていかなくてはいけないんですね。
 
 

適応障害と鬱病の医者の判断基準

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適応障害と鬱病には医学的にも明確な判断基準が定まっているわけではないようです。
 
僕が後から心療内科の先生に「なぜ僕は鬱病ではなく適応障害と診断されたのか」と尋ねてみたところ、その先生はこういう基準で今回僕の適応障害を判断したとのことでした。
 
 
明確な原因があるか
 
その原因から離れている間も症状が持続しているか
 
 
これをまずは確認したとのことでした。これを適応障害と鬱病の一つの判断基準にしているようです。
 
 
先生も診断を出すまでに僕と色々話をしましたが、その中で僕には「仕事」「上司との人間関係」「トラブル」といった明確な原因があることを確認できたとのこと。
 
そして、仕事が休みの日や別なことに没頭しているときには症状の改善が見られることから、先生は適応障害と診断したとのことでした。
 
 
僕の場合には診断は比較的 “簡単” だったとのこと(笑)。
 
僕の場合は適応障害の特徴にピタリでしたからね。簡単だったのでしょう。
 
なので、人によっては適応障害の場合であってももう少し診断に時間がかかる場合もあるのだと思います。
 
その場合には先生ももう少し違う角度で多くの質問をしたのでしょう。
 
 
そして最後に「原因が明らかに仕事なので、仕事から距離をおかないと治りませんよ」と言われました。「診断書が必要ならば書きますから後からでも言ってくださいね」と。
 
病院を出てすぐに処方箋を破り捨てたので覚えていませんが(笑)、何らかの薬も処方されました。
 
でも先生の言葉通り、仕事を辞めたら適応障害は治りました。
 
 
今思えばたぶん、病院を出て「仕事はソッコーで辞めよ( ・ิϖ・ิ)」と心に決め処方箋を破り捨てたあの瞬間に、僕の適応障害はほぼ8割は治っていたような気がしてます。
 
 

我慢して仕事を3年続けたら死にかけた話

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僕もその当時は鬱病と適応障害の違いもわからなかったので、てっきり「きっと鬱病って言われるんだろうなぁ···」と思っていたんですが、想像していなかった「適応障害」と診断され「ん?鬱病よりは、マシなのかな?」って感じでした。
 
でも今思い返すと
 
適応障害でこれなんだから、鬱病はもっと大変なんだろうな···
 
なんて思います。
 
 
 
最後に、僕の適応障害の原因発生から退職までの流れを簡単に話しておこうと思います。何かの参考にしてみてください。
 

適応障害になりやすい性格

 
僕は元々の性格が
 
変に真面目
こだわりが強い
完璧主義
人に気を使いすぎる
人間関係(コミュニケーション能力)が下手
 
と、こういう性格だったため、キッカケさえあればいつでも適応障害発症のリスクがあったのだと、今思えばそう思います。
 
そしてたぶんこれからも。
 
ポイント1
適応障害になりやすい性格を元々持っていた。
 
 
僕の適応障害の原因は、ある一人の上司との人間関係でした。
 
そこから全てが始まりました。
 
その始まりから退職までは約3ヶ月ほどです。
 
早いですね。
 
 
なので今思えば僕は、適応障害と診断される前から実は退職のキッカケを探していたのかもしれません。
 
それは、以前にも入社間もない時期に別な上司との人間関係で数日仕事を休んだことがあり、その時も「辞めたいなぁ···」なんて思っていたんですが、その上司が飛ばされたためそのまま僕は仕事を続けることができました。
 
でもこの時に「こういう人間は他にもいるだろうからこれからまた同じような人間に出会ったら、また同じようになるんだろうな···」なんて考えていました。
 
 
年上の知り合いに相談したら「とりあえず3年は続けなきゃね」というアドバイスをもらい、「そうだよな『仕事は3年続ける』が “日本の法律” だったよな」と、忘れかけていた学校で学んだ法律を思い出し、とりあえず3年頑張った4年目に、事件は起こりました。
 

原因発生

 
僕の仕事は、学校の給食室で給食を作る調理員の仕事でした。
 
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入社から約4年くらいが経ち、一般社員から副責任者へと昇格し別な小学校へと異動することになり、異動先でその上司と出会いました。
 
昇格しての異動人事だったので不安もありましたが、初めての副責任者という責任と、気合いも多少入っていました。
 
 
 
その上司に対して最初は「いい人だな」という印象でしたが、すぐに僕は違和感を感じはじめました。
 
何となく、その人間性への違和感です。
 
すぐにその違和感の正体が判明しました。
 
以前にもその上司は、パワハラの問題を起こした過去があると噂を耳にしたんです。
 
僕が何となく感じていた違和感とは、頑張って笑顔を見せてはいるけれど、何かを我慢し自分を抑えているんじゃないか」という違和感でした。
 
ポイント2
パワハラ体質は簡単には治らない。
 
 
でも実は、異動の話があったときに本社の部長に「テルオ君、何かあったら私に直接連絡してね」と言われ、部長の携帯番号を個人的に渡されていました。
 
当時は、話したこともあまりない部長が「直接私に連絡して」と携帯の番号を手渡してきたことに若干の引っ掛かりはあっても特に深くは考えませんでしたが、「こういうことだったのか」と繋がりました。
 
 
 
出会いから間もなくして、上司の言動や態度に徐々に変化が現れ始めました。
 
イライラの我慢が抑えられなくなる頻度が徐々に増していったのです。
 
ポイント3
自分の「危険察知能力」の直感は大体正しい。
 
 
今思えばこの段階で部長に相談しておけば良かったのですが「まだそこまでじゃないかな···」と僕は判断していました。社会経験の少ない僕は完全に見誤った判断でしたね。
 
ポイント4
相談できる人がいるならば問題が小さいうちに相談しておくと良い
 
 
そして出会いから約3ヶ月後にその上司はついに爆発しました。
 
調理中に急に怒り出し、僕に暴言を浴びせかけた後、調理室から事務所へと引き上げてしまいました。
 
これが僕の適応障害の最初のキッカケです。
 
 
 
もうこの暴言だけでパワハラですが、でも僕はまだ大丈夫でした。
 
怒っている理由は全く不明でしたが、一応他の同僚と謝りに行きました。
 
どうやら、副責任者のくせに僕が使えないということもあったようですが、その上司も理想が高いようで、他の調理員全体の動きに不満がありそれを溜め込んだ結果の爆発だったようです。
 
 
「オレは帰るからお前らで勝手にやれ」
 
 
と言われたので、仕方なく僕は責任者代行として突然全体の指揮を取らなくてはいけなくなったため、頑張って業務に集中し、なんとか無事にその日は給食を提供することができました。
 
一応上司は職務放棄なので、副責任者として僕が会社に連絡しなくてはと思い、この時になって初めて部長と連絡を取りました。
 

身の危険を感じた

 
翌日、その上司も社長から説教されたようで朝礼でみんなに頭を下げて謝罪していましたが、僕はその数時間後に帰宅し、それから数日間仕事を休むことになります。
 
 
というのも、上司の謝罪を聞いて他の同僚はどう感じたのか知りませんが、謝罪はしているけれどその言葉の裏には社長に言われたから仕方なく謝るけどお前らがクズなのは変わりない」というものを僕は感じ取ってしまいました。
 
言葉を時々呑み込み、オレが職務放棄したのは悪かったがそれはお前らに問題があるからだという言い訳と、その横柄な態度。
 
この上司の態度に僕は身の危険を感じ取ったのです。
 
 
人間性など変わるはずもなく、また我慢する日々に戻りまた繰り返すだろうと容易に想像ができました。
 
なぜこの言葉をみんな素直に受け取っているのか僕には謎でした。
 
これが僕の適応障害の2つ目のキッカケです。最初の暴言なんかよりも実はこっちの方が自分の中で決定的な出来事だったように思います。
 
 
 
僕が一番不満だったのは、上司にではなく、上司を排除しようとせずに受け入れている同僚達に対してでした。
 
僕の中では危険人物判定陽性の結果が出ているので当然みんなもそう思っているのだと思い、みんなで団結し会社へ責任者の交代を訴えるなどすることになると思っていたんですが、そうはならなかった。
 
これが本当に謎でした
 
ポイント5
「危険」の感じ方には個人差がある。
 
 
結果、その件で排除されたのは “考え過ぎ” な僕だけでした。
 
その日のうちに会社に僕は「もうあの人とは一緒に働けない」と伝え、その後何日か休むことになります。
 

社長が笑っていた

 
今後どうするかを話し合うために僕は本社へ呼ばれました。
 
社長もその上司に原因があることはわかってはいましたが、もうその上司はみんなの前で謝罪し仕事に復帰していることから、上司の職務放棄の件は一件落着。あとは僕の問題です。
 
僕はてっきり問題の上司はすぐに飛ばされるだろうと思っていましたが、1回の謝罪で終わらせるようだと知り、そんな会社の対応にもがっかりしました。
 
 
 
僕は異動したいことを伝え、異動の件は社長も了承してくれましたが、その条件として「夏休みまでの残りの1週間は今の現場へ復帰しろ」と言われました。
 
この時は、あと1週間ほどで夏休みになる時期で、その夏休み明けの2学期から別な現場に異動させてあげるということです。
 
 
またどこかで社員研修とかで顔を合わせなきゃいけなくなるかもしれないんだから、今学期も残り数日だから復帰してケジメをつけた方が今後のテルオ君のためだ」
 
 
僕は現場復帰するのはいいが上司と一緒の空間にいることも嫌だったため社長に身の危険を感じていることを伝えましたが、社長は「考え過ぎだよ」と言って笑っていました。
 
ポイント6
真剣に身の危険を訴えたときに相手に笑われると、心の行き場を失う。
 
 
僕は仕方なく現場へ復帰することにしました。
 
残りの1週間は心を無にして頑張りました。
 
僕の人生の中で一番無駄で意味の無い “ケジメ” の1週間でした。
 

異動しても楽にはならなかった

 
数日休んで現場に復帰し心を無にしてなんとか数日乗りきり、夏休み明けに別の小学校へ異動しました。
 
別の小学校とはいっても、異動前に所属していた小学校でした。
 
元々その現場での僕の仕事ぶりを見て本社が僕を昇格させたわけですから、人間関係も良く、僕にとって働きやすい最良の人事といえました。
 
 
異動すれば全て解決する
 
 
そう考えていました。
 
しかし、異動しても治るどころか、僕の精神状態は更に悪くなっていきました。
 
 
 
問題の上司との関係も切れたはずなのに、以前はできていた仕事でもミスを繰り返すようになりました。
 
作業中も手が震えて息が詰まるようになりました。
 
人から注意されると言い返したりと、常にイライラと不安が交互に襲ってくるようになりました。
 
 
原因が「上司」ただ一つだったのが、会社への対応にも不満を持ったことから、原因か2つに増えたんですねたぶん。
 
ポイント7
原因が「会社全体」へと広がってしまった。
 

噂に追い詰められた

 
異動しても解決しませんでしたが、僕はなんとか根性で頑張り続けていました。
 
異動先の上司からは「もう異動したんだから大丈夫でしょ?」と言われ、他の同僚からは「この前佐藤さんから全部聞いたよ。テルオさんも部長にチクるのはよくなかったよね」と言われました。
 
 
異動したんだから大丈夫
 
 
普通そう思います。僕もそう思っていました。
 
でも、誰だか知らない佐藤さんという人がなぜか僕のことを話していて、更に、上司の職務放棄を会社へ報告するというのもなぜか「チクる」というものに変わっていました。
 
僕は今回の件について社長と部長以外とは話していなかったので、僕以外の誰かから話が広がっているようでした。
 
 
 
ある時、全社員が集まる研修会で会場の席に一人座っていると、僕の隣の席に座ったどこの現場の人間かも知らない2人がこんな話をしているのが聞こえてきました。
 
 
「○○小学校の副責任者やらかしたんだってね!なんか知ってる?」
 
「なんか、喧嘩したみたいですよ!」
 
「その副責任者がキレたって!『殴った』って聞きましたよ!」
 
「どっちが悪いのよ?」
 
「なんかそいつは来なくなっちゃったみたいだから、そっちが悪いんでしょうよ!」
 
 
 
僕の行動は、
 
キレて上司を殴りその後出勤してこない人
 
というものに変貌を遂げていました。
 
ポイント8
戦争が起こる原因を知った気がする。
 
 
最初誰のことを話しているのかわかりませんでしたが、途中から僕のことだと気づきました。
 
僕の隣で、僕の知らない2人が、僕のことを話題にし、勝手なストーリーを展開していました。
 
どうやら会社全体で僕のことが結構な噂になっているようだと知りました。
 
エゴサーチしてる芸能人ってきっとこんな感じなんだろうな···と思い少し笑えてきました。
 
 
 
それからは、盛大に尾びれがくっついて噂が回るその構造、この会社組織そのものが気持ち悪くて仕方がなくなりました。
 
これが僕の適応障害の3つ目のキッカケです。
 
原因が「上司」「会社」「社内の全ての人間」という3つに増えました。
 

社長の優しい言葉

 
そして僕はまた出勤することができなくなりました。
 
また本社へ呼ばれました。
 
社長からは「休むなら病院へ行って診断書をもらってこい」と言われたので仕方なく病院へ行くとそれが、「適応障害」という診断でした。
 
 
それをまた社長室で報告しました。社長にはこう言われました。
 
 
「ウチの社内にも何人か鬱病とか患ってる社員がいるけど、みんな病院通いながら薬とか飲んで頑張ってるんだから、テルオ君も薬とか飲んで頑張ってみなよ
 
 
僕は病院から出された処方箋を破り捨てた瞬間から会社を辞めることをほぼ決めていましたが、この社長の “優しい” 言葉で「この会社を辞めるのが正しい」と確信しました。
 
これが僕が会社を辞める最後の決定の瞬間でした。
 
 
薬を飲んでまで働かねばならない仕事なんてこの世にあるはずがな
 
 
そう思いました。
 
ポイント9
「薬飲んで頑張れ」で頑張る気が完全に失せた。
 
 
そのパワハラ上司には注意をしただけで責任者としてそのまま職務続行とし、僕には薬を飲んで頑張れと言う。
 
そんな会社の対応にもガッカリし、噂の気持ち悪さにもウンザリしました。
 
まぁ、会社としては僕のような社員にはそういう対応しかなかったんだと思いますが、これまで何度も事件を起こしているパワハラ社員に対する対応としては「古いな」と思います。
 

僕の頭の中は結構ヤバかった

 
入社から適応障害になり退職するまでは約4年半でした。
 
年上の先輩からのアドバイスと、真面目にこれまで受けてきた教育により、仕事を我慢し3年続けた結果僕は適応障害になりました。
 
社会人の常識としてみんなが言う「仕事は3年続けろ」を実践した結果が、精神疾患です。
 
 
 
今回は僕の適応障害の原因発生から退職までの流れを簡単に話しただけなのでアレですが、適応障害当時の僕の頭の中では結構ヤバいことを考えたりしていました。
 
その僕の頭の中の話も入れ込むと長くなるので、適応障害当時の僕の仕事中のヤバい思考や、休んでいる間の僕のヤバい行動についても見てみたい方はこちらを↓↓
 
 
僕は適応障害でしたが、結構ギリギリのところまで行きました。
 

退職後に知ったこと

 
会社を辞めてから1年ぶりくらいに以前の同僚とカフェでお茶をして話す機会がありました。
 
あのパワハラ上司はその後また何かやらかしたようで、責任者を降ろされ、所属先も決まらないままその日しのぎの臨時のヘルプ要員として人出の足りない各現場を回っているらしいと聞きました。
 
 
いや、そりゃそうだろうよ(笑)
 
だってアイツはヤバかったもん
 
 
やっぱり僕の直感は正しかった。
 
ポイント10
誰が「考え過ぎ」と言っても、ヤバイ人間から離れた僕の行動は正しかった。
 
 
どちらの人間を大切にしなければいけなかったのか、会社はその後気づき反省しているといいんですが、まぁ、無理でしょう。
 
アノ人を排除しなければいつかケガ人が出るでしょう。
 
 

まとめ

 
僕の適応障害の経験を長々と話しましたが、ここまで読んでくれた方には最後に、これだけ覚えて帰ってください。
 
 
 
仕事はただの生活の手段にすぎない
 
自分の危険察知能力(直感)は信じておいて損はない
 
 
 
(関連記事:適応障害・鬱病でもできる仕事とは?···の中でも話していますが、原因が仕事である場合の適応障害で病院から処方される薬というのは、「『このまま会社に居続けると危険』という自分の脳からの警告を薬で麻痺させ会社に留まり続けさせるため」のものです。
 
ただの生活のための手段にすぎない仕事は、薬を飲んでまで頑張るようなものではない。
 
 
 
それと、他の人がどうこうではなく、自分にとって危険なことなのかどうかという自分の危険察知能力は常識に囚われず信じた方が身のため。
 
身の危険を訴える僕に「考え過ぎだよ」と言って笑った社長はべつにおかしな人とかではなく、普通です。たぶん誰でもそういう反応をするでしょう。
 
でも他の普通の人はどうあれ、僕にとっては事実、考え過ぎなんかじゃなかったわけです。ターミネーター2のサラコナーのように。
 
実際にその上司はあの後降格させられているので、あの時のアレで降格させられなかったのに、、と思うとやっぱり、アレ以上の何かがあったということでしょうからね。
 
 
 

 
 
 
 
 
 

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