雲藤テルオのプロフィール紹介

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HAPPINESS IS EASY
 
 
幸せは
  
頑張って探したり
 

無理してつくったりするものじゃない
 
肩の力を抜いて
 

自然体でいこうよ
 
幸せは
 
気づくもの
 
なのだから
 
 
 
つまたんといっしょ へようこそ (*˘︶˘*).。.:*♡
 
はじめまして。当ブログ管理人の雲藤テルオ(ウンドウ テルオ)です。
 
 
当ブログは、毎日妻と楽しく暮らすことに忙しく働く暇がない37歳の僕が主に
 
  • 趣味のフリーマーケット
  • 学校給食の仕事の話
  • 適応障害の経験
  • 脱社畜思考論
  • 結婚や幸せについて
  • 誰の役にも立たないうんこみたいなネタ話
 
を中心に、昭和生まれが誰にも搾取されずに幸せに冷和時代を生き抜くための「新!人生戦略」的な内容をお送りするブログです。
 
 
そんな私のプロフィールに興味を持っていただいてありがとうございます。
 
ここでは僕の生い立ちを振り返りながら、なぜ僕は搾取を異様に嫌い、どのような経緯で独立心が芽生え、これからの時代を私達はどう生きていくべきなのか、をお伝えできればと思います。
 
ちょっと長めですが、是非最後までお付き合いください!(*´ω`*)
 
 

生まれは福島県いわき市

 
1982年の朝鮮人民軍創設記念日と同じ2月8日に、佐川元国税庁長官と同じ福島県いわき市の湯本という街で僕は生まれました。
 
 
 
「湯本」はその名の通り温泉街です。
 
「スパリゾートハワイアンズがある所」と言えばわかりやすいでしょうか。
 
profile-1-19駅前も若干ハワイアンな感じです。
 
昔は駅もボロかったんですが、今では綺麗になり、駅のホームには足湯なんかが設置してあります。
 
profile-1-12電車到着の間隔が30分くらいあるので、地元民は早めにホームに入って足湯を楽しむようです。
 
父は40代後半、母は30代半ばという両親の元に僕は生まれました。
 
profile-1-15使えそうな写真を母の家で探していたら良さそうなのが見つかりました。内股が決め手です。
 
両親共に再婚で、父には2人の娘が、母には娘と息子が1人ずついます。両親共に子どもは以前のパートナーの元に残してきているので、僕は一人っ子として育ちました。
 
母の元旦那は子どもたちに「お母さんは死んだ」と教えていたにも関わらず、母は勝手に娘に会いに行くという行動を起こしました。その後結構兄妹がモメたようだと、母が笑いながら僕に話していました。
 
結構罪深いです。
 
 
父はというと、結婚当初は会社勤めをしていたようですが、僕がもの心つく頃には既に父は「ばくだん」と呼ばれるお菓子を軽トラで作りながら売り歩く仕事をしていました。
 
「ばくだん」というのは、米を膨らまして砂糖を絡めたお菓子です。
 
軽トラに積んだ専用の機械で膨らませるんですが、その完成するときに出る「ボンッ!」という爆弾が爆発するような音が特徴的なので「ばくだん」と言うそうです。
 
ポップコーンの米版みたいな感じです。
 
profile-1-4スーパーなどでは一般的にこんな感じで売られているお菓子のことです。
 
「お父さん仕事何してるの?」とよく友達の親とかに聞かれたりしましたが、「ばくだん屋です」と言うのは恥ずかしく笑ってごまかしていました。いちいち「ばくだん」というものの説明をしなくてはいけなくなるので面倒というのもありましたし。
 
 
 
会社組織というものに馴染めない僕のこの性格も、会社辞めてばくだん作りをするような父親の遺伝子を受け継いでいるのかもしれません。
 
 

両親の離婚で世界が変わった

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僕が小学校5年生のときに両親が離婚し、僕は母親に引き取られることになりました。
 
その離婚で僕は「雲藤」から母親の旧姓に苗字が変わりました。なので雲藤というのもある意味本名です。
 
 
 
離婚後すぐに引っ越して学校も転校したんですが、転校しても前の学校の持ち物をそのまま使います。
 
例えば、彫刻刀や裁縫セットや鍵盤ハーモニカなんてものは、ちょっと見た目は違っても機能は一緒なんで転校後もそのまま使い続けるんです。
 
でも僕は苗字が変わっているため、旧姓の名前の上から新しい名前を書いたシールを貼って使っていたんですが、「絶対に雲藤はバレたくない!」と思っていた僕は、そのシールが剥がれないようにいつも注意していました。
 
特に彫刻刀なんて持ち手の木の部分にシールを貼るんで、爪で引っかけばすぐに剥がれてしまうんです。だから彫刻刀は絶対に誰にも触らせないように注意していました。
 
学校でウ○コしてるのバレたくない以上に「雲藤」はバレたくなかった。雲藤バレるくらいならウ○コ見せましたね多分。
 
 
 
このように、両親の離婚と引っ越しと転校で、小学5年生で僕の環境はガラリと変わりました。
 
今の時代では両親の離婚なんて普通かもしれませんが、当時の僕は父親がいないことや苗字が変わったことを恥ずかしく思っていたので、「自分を隠す」ということに必死になる学校生活へと入っていきます。
 
 

生きる「武器」を見つける

 
転校して僕は初めて自分が人見知りだということに気付きました。
 
物心ついた頃からいつの間にか普通に友達がいたので転校前は気付かなかったんですが、転校して全く知らない人たちの集団の中に入ってみて、初めて自分が極度の人見知りだということに気付いたんです。
 
 
自分を隠し、人見知り。
 
 
こういう子どもは大抵、イジメられます。
 
今思えば大したことではないですが、ネガティブ思考に陥っていた僕は、小学校でイジメのようなことも受け始めました。
 
そうなると「隠したい自分」というものがまた増えていきます。
 
父親がいないこと
旧姓が雲藤であること
人見知りなこと
友達がいないこと
イジメられていること
 
特に当時の僕は「友達がいない」ということへの危機感が強かったと思います。
 
 
 
その頃テレビでは『ダウンタウンのごっつええ感じ』という番組が流行っていました。僕も好きで毎週見ていたんですが、そこで松ちゃんが実は人見知りだと自分のことを言っていたのを聞いて、「人見知りでもこんな面白くて人気者になれるのか!?」と思ったんです。
 
 
そこから何か自分の新しい道が見つかった気がしました。
 
 
テストではボケ解答を連発し、女子には “天然” がウケると知れば女子の前でわざと躓き、おしりがウケると知れば困ったときにはおしりを出し、後の高校では学級委員長時代にクラス紹介文を書いたときにも担任をネタに読みものでもボケまくりました。
 
 
僕の一言で、みんなが笑う。
 
 
それが楽しくて仕方がなくなりました。
 
学校では僕は「面白い人」という地位をそれなりに獲得することになり、友達もそれなりに増えました。
 
僕をそんなに調子づかせた最初のキッカケは、テストのボケ解答で「面白いから」という理由で点数が貰えてからです。
 
公務員の風上にも置けないアッパレな対応をした先生に今でも感謝しています。先生の名前は忘れましたが。
 
 
 
その僕の「生きる武器」は今でも身に染み付いているので、誰の役にも立たないうんこみたいなネタ話のような記事がたまに書きたくなるんです。
 
 

学校教育で「社畜」を学ぶ

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日本人は、学校教育で「社畜精神」を学びます。
 
 
強い者には逆らってはいけない
 
先輩は絶対
 
人間は “みんな同じ”
 
会社勤めが国民の義務
 
仕事は最低3年続ける
 
 
こうして日本人は小学校入学から数えて9年か12年か16年後の3月に卒業し、4月に会社へ就職します。
 
ちゃんと決まっています。
 
 
 
僕の場合は、クラスの8割の生徒は授業中は寝ていてその内の半分以上はヤンキーという、県内の立派な工業高校へ進学しました。
 
先生が「この問題試験に出ます。数字も変えません。こ·の·ま·ん·ま出ます。これに正解すれば赤点は回避できますからね」と言っているにも関わらず0点が続出。名前すら書かない生徒も数名。そんな立派な学校でした。
 
そんな生徒たちが “学校から紹介されたなんの興味も無いけど自分でも入れそうな会社” へみんなで揃って4月に就職していきます。
 
 
日本の社畜教育が実を結んだ瞬間でした。
 
 

自分の未来を想像したら、気に入らなかった

 
ほとんどの生徒が卒業後に地元の企業へ就職する中、僕は東京への憧れのため東京の専門学校へ4月に進学することにしました。
 
「東京への憧れ」というか、高校卒業して地元の工場とかに就職したら「終わる」と僕はなぜかあの当時強く思っていたので、とにかく福島から “脱出” したかったんです。
 
このまま地元で生きていく自分の未来を想像したときに、その未来がどうしても気に入らなかった。
 
脱出するならば、行き先は東京しか考えられませんでした。
 
 
日本の中心地。
 
全てが集まり、全てが決まる場所。
 
 
そこへ行かずに地元の何やってるかよくわからない工場へ骨を埋めようとしている周りの同世代たちが、僕には理解できませんでした。
 
でも大人になった今なら少し理解できます。親の教育が良かったんです。
 
卒業したら地元に就職し、地元の女を嫁にもらい、親が生きてる間に孫を抱かせ、息子夫婦が親の面倒をみる。
 
地元の良さ、地元で生きていく楽しさ、そういう環境教育がきちんと施されていれば普通、地元から「脱出したい」なんて子供は考えないのかもしれません。
 
 
 
僕はというと、母からはずーーーーっと、父の悪口、親戚の悪口、近所の悪口、僕の友達の悪口を毎日聞かされて育ちました。
 
こういう環境で育った僕は、家族愛郷土愛的な感覚が乏しい人間に育ち、福島から脱出したい」と思うようになりました。
 
 

上京

 
僕は東京の専門学校へ進学するために仲の良い友人と3人で上京しました。
 
ですが、上京後すぐに始めた飲食店のアルバイトが楽しくて学校にもほとんど行かず、1年で退学してしまいました。
 
profile-1-5バイトの仲間たちと。22歳頃だと思います。
 
日本全国から色んな夢を持った色んな個性のある人間が大都会東京のそのバイトには集まってきていました。ときには何らかの夢を持って日本にやってきた外国人もいました。
 
 
元々その学校で学びたかったことなどは特になく、単に、東京へ行くために親や親戚や先生を納得させる方法として専門学校進学を選んだにすぎなかったので、学校に興味なんてありませんでした。
 
「福島を脱出したい」と言って「はいそうですか」となる大人なんていないでしょうから。
 
 
美術系の学校で、僕も美術が好きだったので、ヌードデッサンだけは楽しかったです。ヌードデッサンの授業が毎日あれば卒業していたかもしれません(笑)。
 
profile-1-11人間(特に女性)を描くのは好きだけど顔を描くのは苦手でした。なので僕の人物デッサンにはほとんど顔がありません。
 
今でも僕は東京へ出てきて良かったと思っています。人生一度は上京することをおすすめします。
 
 

父が地獄へ旅立ち、僕の心は「搾取」された

 
僕が21歳の頃、僕を探しているという父方の親戚と僕の友人との偶然の繋がりにより、父が自殺したと僕の元へ連絡が入りました。
 
 
車のマフラーにホースくっつけて運転席まで伸ばして窓の隙間をガムテで塞ぐという、よく昔の2時間ドラマで見たやつです。
 
 
あ、ホントにこういう感じで人って死ぬんだな···
 
 
と思いました。僕が大学生だったら卒論のテーマにしていたかもしれません。
 
 
父はゴキブリを食べてでも生き残るようなすごく強い人間だと僕は思っていたので、現場を見るまではちょっと信じられませんでしたね。
 
父に対しては厳しい人という印象が強かったので、父とははあまり笑って会話をした記憶がありませんでした。
 
そういうこともあり、いつか酒でも飲みながら大人同士話をしてみたかったというのがあったんですが、それがもう叶わないというのは一つの心残りです。
 
 
 
「天国にいったんだ」と親戚の誰かが話しているのが聞こえましたが、僕は、父は地獄にいると思ってます。
 
自分の子どもに2時間ドラマのやつ見せるような人間はたぶん、地獄行きでしょうから。
 
実の親をそんなふうに思わなくてはいけない僕の心は、地獄にいった父に搾取されました。
 
 

後の僕を救う女神、「妻」との出会い

 
上京してから続けている(実は今でも続けている)アルバイト先で、一人の女性に出会いました。
 
 
後の僕を救う女神、妻との出会いです。
 
 
今では、僕は「この人に出会うために東京へ来たんだな」と、そう思っています。
 
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僕がこれまで付き合ってきたタイプとはちょっと違うタイプの女性だったんですが、なぜか惹かれるものがあり、毎日その人を笑わせることに一生懸命になりました。
 
人見知りであがり症な僕は、好きな女性にも「面白い人」としてアピールするしか方法がありませんでした。
 
そして毎日頑張って笑わせ続けた甲斐あって、念願叶い交際することになりました。
 
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後に妻に聞くと、屋上で一人でパンをかじっていて、クラスで盗みがあったら真っ先に疑われて、こっそり捨て猫に餌をあげているような、そんな疑われやすく不器用だけど根は真面目な男が、妻のタイプだそうです。
 
誰も聞いてなくても一人ボケる孤独さと、ボケるしか愛情表現のない不器用さと、真剣にボケる真面目さと、捨て猫にボケて「ニャー」と笑わせる僕の優しさが、きっと妻に伝わったのでしょう٩( ・ิω・ิ)۶
 
 

就職 〜「脱社畜」のはじまり〜

 
高校を卒業し就職していった同級生たちからだいぶ遅れをとりましたが、僕は29歳のときに東京で初めての就職をしました。
 
 
その仕事は学校給食調理員といって、虫歯菌が持っているようなでっかいフォークみたいなのを振り回し、虫歯ではなく料理を作る仕事です。
 
要するに、給食のおじさんです。
 
profile-1-13調理員時代もこうして若干 “天然くん” を演じていました。とにかく天然は女子ウケがいいんです(笑)。
 
ずっと飲食店のアルバイトをしていたので、せっかくだからと独学で調理師免許を取りました。
 
そしてこの調理師免許を活かして働ける一番労働環境が良い仕事を探したら、学校給食調理員という仕事に行き着きました。
 
 
朝は早いですが、毎日定時に仕事が終わり、土日祝日はもちろん、夏休みや冬休みまである学校給食調理員という仕事は、すごく魅力的でした。
 
profile-1-14最新の施設ではこういったでっかい調理機をたくさん使って給食を作ります。
 
これでやっと僕も立派な “普通の人間” になれると思っていました。
 
 
たった4年半の、普通の人間。
 
 

変わり者の女性と結婚

 
バイトでボケまくってゲットした女性と8年くらい交際し、就職後すぐに結婚することになりました。
 
 
就職は実は、結婚するためのものでもありました。通常、社畜じゃない男に大切な娘を嫁に出す親などいませんからね。
 
僕が専門学校を真面目に卒業していたら妻との出会いもなかったので、もちろん結婚もなかったでしょう。
 
なので、毎日ヌードデッサンの授業がなかった専門学校に今では感謝しています。
 
 
 
薄々気づいてはいましたが、結婚を機に、妻は結構な変わり者だということをあらためて感じました。
 
実は僕達は、結婚式もしていませんし、結婚写真も撮っていませんし、指輪もありません。親同士も未だに会っていません。妻のお姉さんとも会ったことありません。
 
これは一般的常識では理解ができないと思うので、リアルな知り合いには面倒なのであまり話していません。
 
 
結婚式は、勿論僕にお金が無いという理由はあったんですが、妻が「コスプレしてヘラヘラ笑うなんて嫌だ!気持ち悪っ!」という人間なので、妻の両親がお金を出してくれると言ってくれたんですが、そういう理由で結婚式はしていません。
 
写真だけでも撮ろうかという話もあったんですが、そんなのに何十万もお金を使うの無駄じゃね!?」という妻の意見でなくなりました。
 
指輪は「いらなくね?」という妻の意見で買っていません。
 
親同士も、最初の頃は一緒にみんなで食事でもという話はあったんですが、なんとなく先延ばしになり、結婚から7年近く経った今でも会っていません。そのことについて誰も触れてこないので僕も黙っています。
 
 
 
それに加え、僕たち夫婦は子どもをつくらないつもりでいます。
 
ダンス中心の生活をしている妻の希望で、子どもができるとダンスができなくなるというのがその理由です。
 
子どもにiPadを渡して外で待たせながらダンスレッスンに通う母親もいるようですが、妻は「母親は、子どもがいるならば育児・教育に全力を尽くすべきだ」と言います。
 
つまり、全力を尽くすべきなのは「ダンス」か「子育て」のどちらかであり、妻は「ダンス」を選択したということです。
 
なので、ダンスに全てを捧げている妻は子どもをつくることはできないんです。
 
 
僕はというと、実はどっちでもいいんです。そんなにこだわりはありません。ありませんが、将来「子供が欲しいな〜」とは絶対に思わないかと言えば、それはわかりません。
 
それはわかりませんが、僕の最優先は妻です。それは絶対に今後も変わることはありません。
 
 
そして子どもをつくるつもりがないことは僕の母には話していません。そんな考えを理解できる母ではないので、それが妻の意向だとなればきっとネチネチ妻を責めるでしょう。
 
なのでお母さんには申し訳ないが、母が死ぬその時までそこはうやむやにしておくつもりです。
 
まぁ、状況次第ですが。
 
 
 
僕たちはちょっと一般的に普通じゃないとは思うんですが、僕たちはこれで成り立っているのでべつに構わないと思っています
 
何よりも僕たち夫婦はラブラブなので、それ以外はどうでもいいんです。
 
 
 
ちなみに、恋人は「顔で選ぶか性格で選ぶか」という論争がよくありますが、結婚後に妻に聞いてみたところ結婚相手は顔で選ぶべき」と断言していました。
 
僕もその発想面白いなと思ったのでそれについて考えてみたところ顔は性格の一番外側であるため、結婚相手を顔で選ぶのが合理的だなという結論に至りました。
 
結婚して幸せになりたい方は参考にしてみてください。
 
 

フリマ 〜生きる力は貧困から生まれる〜

 
僕の家庭は、お小遣い制です。
 
給料は全て妻に渡します。今でもそうです。
 
 
 
妻はべつにケチというわけではないんですが、“変態的に” お金を使わない人なので、僕の給食のおじさんの安月給でも「どうやってそんなに貯金できるの!?」というくらいお金を貯めるのが趣味です。
 
 
そういう人なので、僕の月のお小遣いは5千円です。
 
今時の中学生ならばもっともらっていてもいいような金額ですね。恥ずかしいのでお小遣いの額を人に聞かれたときには「1万円〜2万円くらいかな〜」と答えていました。
 
 
妻は変態ですが、僕は変態ではないので、もちろん5千円では足りません。
 
そこでいろいろお金を稼ぐための手段を考えました。
 
そうして出た答えがフリーマーケットでした。
 
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profile-1-7今では都内中心にいろんなタイプのフリマに顔を出しています。
 
フリマも元々妻の影響でハマったんですが、フリマで買ったものを一度ヤフオクに出品してみたところ買値よりも高く売れたことを思い出し【フリマで仕入れ→ヤフオクへ転売】というお小遣いの稼ぎ方を見つけました。
 
これを仕事が休みの土日に行い、4年くらいで国産の安い新車1台分くらいの貯金を僕もすることができました。
 
 
フリマはべつに転売目的だけではなく、自分の洋服や靴も結構フリマで揃えています。
 
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黒いやつ以外はフリマで買いました。レザーシューズが好きで、特にClarksが履きやすくて好きです。
 
この経験で学んだのは、「生きる力は貧困から生まれる」ということです。
 
僕の月のお小遣いがもし3万円だったら、こんな “ビジネス” は考えもしなかったでしょう。
 
 
最近「転売」という商売が悪く報道されますが、僕の考え方としては、「安く仕入れて高く売る」というのはいつの時代も商売の基本です。
 
もちろん犯罪行為はいけませんが、法に触れない転売は商売の基本であって、そういう商売をしてほしくないのであれば売る側がルールを作ればいいだけです。
 
profile-1-8PORTERはよく売れる。CHUMSはイマイチ。
 
そしてもう一つ、自分の力だけでお金を稼ぐことができたという経験をした僕は、新たな野望が自分の中で芽生え始めました。
 
 
独立して仕事をしたい
 
 
という野望が。
 
 

薬で精神を麻痺させる労働の将来性に限界を感じ、退職

 
僕の人見知りとあがり症を隠すために身に着けた武器「笑い」ですが、その僕の武器が唯一通用しない相手がいます。
 
それは、無口で職人気質な常にイライラしているタイプのおじさんです。
 
 
人見知りとあがり症以外に僕は、
 
  • 人に気を使いすぎるあまり誤解されやすい
  • 納得しないと前に進めない完璧主義
  • 感覚ではなく理論的に理解しようとする
 
という性格を持っています。
 
 
想像できるかと思いますが、無口で職人気質な常にイライラしているタイプのおじさんは、こういうタイプの人間を嫌います。
 
そういうことで、このタイプの上司と出会ってしまった僕は、入社4年半で適応障害となり会社を辞めることになりました。
 
詳細は僕の適応障害体験談でそれなりに詳しく話しているので省きますが、僕が退職に至るキッカケは大きく3つありますが、その2つが社長の “常識” と、良かれと思い言ってくれた社長の “優しい” 一言でした。
 
 
 
僕は(自分にとっての)危険に対する直感が鋭い方なので、トラブルになった上司には身の危険を感じるほどの直感が働きました。
 
その直感を会社の社長に話したときに笑って言われたそりゃテルオくん、考え過ぎだよ」という、僕の常識が一般的常識では受け入れられないのだという失望感。
 
そして、自分の精神が普通じゃないと感じていた僕が退職を切り出したときに社長に言われた他にも何人か鬱病とか患ってる社員がいるけど、みんな病院通いながら薬とか飲んで頑張ってるんだよ。テルオ君も薬とか飲んで頑張ってみなよという、社長の常識的な優しい一言。
 
 
自分の中の思いはどうあれ、身の危険を訴えている人の話に対して「笑う」という反応はありえなく、薬を飲んでまで働かねばならない仕事なんてこの世にあるはずがありません。
 
 
今思うと確か、社長室の社長の席には“社畜長”と書かれていたような気がします。
 
 

妻が想像以上に “変態” だった

 
僕が退職に至るキッカケの3つ目。
 
僕が「もう仕事に行きたくない」と話したときに妻に言われた言葉。
 
 
嫌なら辞めなよ。仕事なんて生活の手段にすぎないんだからさ。明日辞めてきなね。
 
 
この言葉で最終的に会社を辞める決意が固まりました。
 
 
ちなみに、会社から「病院行って診断してもらって来い」と言われ嫌々心療内科を受診して出てきた適応障害という診断結果を妻に伝えたところ、妻の反応は
 
 
 
マジで!?
ウケる!(≧▽≦)
 
 
 
でした(笑)。
 
僕が想像していた以上に妻が “変態” だったことに救われました。
 
 
 
この妻の言葉により、僕はすぐに会社を辞めることに決めました。
 
それまでの僕は別れの挨拶とかはちゃんとしなきゃいけないと思っていた常識人でしたが、出勤しようとすると心臓バクバクで吐き気がするというヤバイ精神状態だったので、他人のことは忘れて自分のことだけを最優先にすることに決め、社長の「薬飲んで頑張れ」の話の翌日からもう出勤しませんでした。
 
 
 
僕の人生の中での唯一の正しい選択が、妻を妻としたことです。
 
勉強もでき頭も良く、仕事はただの生活のための手段にすぎないのだと僕に教えてくれた妻に本当に感謝すると同時に、そんな人を妻とした自分を褒めてあげたい。
 
あと、僕が世界で唯一信用しているのが、妻ただ一人です。
 
そんなことは絶対にない人ですが、もし妻が僕を裏切ったとしても「この人に裏切られるなら仕方ないかな」とさえ思っています。
 
それくらい変態妻を信用しています。
 
 
ここまで書いていて気づきましたが、たぶん、僕も結構な変態だと思います。
 
 

独立の第一歩に「ブログ」を選んだ

 
退職後に振り返って思えば、身の危険を訴える僕に社長が笑いながら言った「考えすぎだよ」も、精神的にヤバイと話す僕に社長が言った「薬飲んで頑張れ」も、べつにおかしな対応というわけでもありません。
 
べつに普通です。
 
どこの会社でもそういう対応が普通でしょう。
 
 
ですが僕は、その世間の “普通” に合わせることにもう疲れました。
 
自分の直感的な危険察知能力を、危険察知能力の低めな普通の人に合わせることに疲れました。
 
なので僕はこれをキッカケに、もう企業組織に属して働く生き方を卒業し、独立の道を歩むことにしました。
 
 
父は「ばくだん」を選びましたが、僕は「ブログ」を選ぶことにしました。
 
あがり症なので人前で話すのは苦手ですが、下手だけど文章を書くことは前から好きでした。
 
 
 
2019年9月の今現在でこのブログを始めて約3年が経ちますが3年もブログを書き続けているとブログにストレスを感じるときもたまにあります。
 
そんなとき、ストレス発散しようと思い気づくと、ブログを書いている自分がいます。
 
ブログのストレス発散のためにブログを書く。
 
もうこれは、ブログではなかったとしても、今後の僕から「執筆」というものを切り離すことはできないということでしょう。
 
 
 
僕のこのストレスエピソードも実は、このブログテーマの「HAPPINESS IS EASY」的なエピソードです。
 
HAPPINESS IS EASYとは、考え過ぎずにもっと肩の力を抜けば意外と幸せは簡単に見つかるんじゃないかなという思いを込めて僕が考えたテーマです。
 
僕は高い目標を持ってブログに取り組んでいるため、よく自分の能力以上の壁にぶつかります。そうなると一旦立ち止まり勉強して解決しなくてはいけないため、それがストレスになります。
 
そのストレスの発散に選ぶのもまたブログということは、僕にとってブログを書くこと自体が幸せなんです。
 
つまり、幸せは頑張って探している間は見つけることはできなく、幸せは「気づくこと」で得られるということです。
 
 
社会不適合者の僕のような人でない限り、なかなかそこに気づける人って少ないんですよね。
 
 

このブログの目的

 
当ブログ《つまたんといっしょ》は、そのブログタイトル通り、立ち上げ当初は妻との幸せな結婚生活中心のブログにしようと思って名付けました。
 
その後、僕の経験したことが誰かの役に立つかもしれないと思い、
 
こなような僕の経験や人生を楽しく生きるための思考論的なカテゴリーを中心に、現在展開中です。
 
 
 
脱社畜というのはなにも、「仕事を辞めろ」という意味ではなく、「会社という組織に属した労働だけに頼るな」という意味です。
 
 
終身雇用は崩壊し、
 
年功序列も崩壊し
 
退職金も廃止になり、
 
人口減少により目的達成の効率を上げるため「人間」が「AI」に置き換えられる。
 
 
そういう時代を私達は今生きています。
 
 
であるならば、AIが唯一できない「遊ぶ」ということを、これからの人間は真剣にやるべきです。
 
その「遊ぶ」が僕の場合、この「ブログ」でした。
 
 
「仕事は仕事だから」と、これまでの働き方では好きなことなんかじゃ飯は食えない」「好きなことやりたいなんて甘えだ」というのが常識で、仕事には割り切った考えで臨むことが、昭和の先輩から教わった社会人としての常識でした。
 
しかし、令和時代にこれらの常識は、全て覆ります。
 
なぜ僕はそんなことが言い切れるのか。
 
それは、今の仕事の現場を見ていれば、実は誰でも気づくことができます。
 
 
これからの会社は、仕事は仕事と割り切って言われたことだけをただひたすらこなすような末端の人材は「不要人材」と見なし、徐々にAIに置き換えていきます。
 
そうなったとき、不要人材の烙印を押されたくない会社員は、頑張って勉強し、会社に「必要な人材だ」と思わせなくてはいけません。
 
そんなとき、好きでも何でもない仕事でAIに勝てるほど、頑張ることができるでしょうか?
 
僕ならば、そんな好きでもない仕事のために人生の数年間を使って一生懸命勉強することなんかできません。しかも勝たなくてはいけない相手は、AIです。
 
その道のスペシャリストのAIという強敵に、割り切った仕事をしている人間が勝てるはずがありません。
 
 
気づこうとしないだけで、よーーく見れば誰でも想像できることですが、そういう考え方をするような “社会不適合者” はまだ少数派なので、危機感を感じないのでしょう。
 
 
 
このブログの目的は、僕の経験を、それを必要としている人にお届けします。
 
そして、僕の経験したそれらの記事から「遊び」のヒントを得て自分にとっての「脱社畜」を目指しましょうね!というのが、このブログの目的です。
 
 
 
それ以外に僕がこのブログで力を入れているのが、
 
僕の趣味でもあり、独立心が芽生えたキッカケとなったフリーマーケット情報にも力を入れています。
 
 
そして、特に力を入れているというわけでもありませんが、たまに無性に書きたくなるネタ記事も、息抜きに書いています。
 
“息抜き” と言いつつも、「笑い」を愛している僕なので、書くと決めたら数日がかりになることもあります(笑)。
 
 
 
これからも何か他のことに興味を持ったり、妻には「就職だけはしないでね!」と言われていますが(笑)、もしかしたら就職も今後するかもしれません。
 
しかしこのブログも趣味も就職も、それで人生「安泰」ではなく、その経験を利用して何かに挑戦するという生き方は、僕は今後もたぶん変わることはないでしょう。
 
 
 
 

ダイエットブログも始めました

 
会社を辞めてブロガーになった僕は、ずっと座ってパソコン画面に向かう生活をしていたため、1年で15キロもデブるという経験をしました。
 
そういう僕がダイエットブログとして《もてもてあいしてる》を立ち上げました。
 
これまでの人生でダイエットをしてはリバウンドするを繰り返している僕が、結果が出たときにだけ偉そうに記事を更新しています。
 
 
 
 

各種コンサルティングもやってます。

 
僕と同じようにブログをこれからやってみたいという方や、ブログをやっているけど思ったような結果が得られないという方向けに、ブログコンサルも実施しています。
 
 
 
 
僕の学校給食調理員という仕事の経験から、特に学校給食の仕事についての相談も承っております。
 
 
 

お問い合わせや雲藤テルオへのお仕事のご依頼について

 
当ブログに対する各種お問い合わせや、雲藤テルオへのお仕事のご依頼はお問い合わせから承っております。
 
 
私は「社長」になることと、何らかの「書籍の出版」が夢なので、特に出版社様のご依頼は大歓迎です!
 

あまり有名になりすぎてからだと争奪戦が予想されますので今が “お買い得” です(・ิω・ิ)

\私の専門分野ヽ(^。^)ノ/
 

 
 
 
 
 
 

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