結婚後に「幸せとは」を哲学的に考え「気づくもの」という結論に辿り着いた話

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こんにちは。結婚7年目なのにラブラブな雲藤テルオです。
 
妻との交際期間は約8年。なので、妻とは出会ってからもう15年経つことになりますが、出会った頃よりも今が一番ラブラブです。
 
 
僕は適応障害で会社を辞め、今ではブロガーとして生活をしていますが、会社を辞める辞めないに悩んでいた時は毎日公園で何時間も自分と向き合い色々考えるという、辛い期間がありました。
 
その、普通の人はなかなかやらない「自分と向き合う」ということをやった結果、いくつかわかったことがあります。
 
  • 「仕事は生活の手段に過ぎない」ということ。
  • 「短い人生の中で嫌なことをやっている暇などない」ということ。
  • 「幸せは必死に探したりつくったりするものではなく『気づくもの』」だということ。
 
幸せは、つくるのではなく、探すのでもなく、気づくものだった。
 
 
今回は、実は誰にでもできて、今からでも幸せになれる幸せの気づき方」についてのお話です。
 

幸せとは、つくるものじゃなく、必死に探すものでもない

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幸せとは、必死に探して手に入るものではありません。
 
つくろうとしても、うまくはいきません。
 
それはなぜなのか?
 
それは、多くの人が探している幸せというのは結果論だからです。
 
「今幸せですか?」と聞かれて「幸せです」と答えられる人はどれくらいいるでしょうか。
 
 
「幸せ」というのは、自分が死ぬときにこれまでの人生を振り返って幸せな人生だったのかそうじゃなかったのかの答えが出るものであるため、「幸せですか?」の質問に答えられるのは、死の直前です。
 
人間はこういう、死ぬまで答えの出ない幸せを人生の全てをかけて必死に探し続けます。
 
「探す」や「つくる」という行動は目的達成のための手段であるため、手段を講じている間は実は、幸せではありません。
 
幸せを探したりつくったりしている人生では生きている間に幸せを手にするのは不可能であり、幸せの答えが出た瞬間に人間は死を迎えることになります。
 
つまり、幸せを探している間は幸せを手にすることは不可能だということです。
 
 
 
この前、僕が一人で公園のベンチに座りスマホで、まさにこの記事を書いていたときのこと。
 
「宣教師」と名乗る外国人二人組の男性に「アナタハイマシアワセデスカ?」と片言の日本語で声をかけられました。近所の教会のイベントかなにかへ暇そうな僕を誘おうとしているようでした。
 
僕は今めっちゃ幸せなので「はい幸せです」と答えましたが、予想外の答えだったようで、その宣教師たちは戸惑いながら去っていきました。
 
 
 
このように、「幸せですか?」と聞かれて「幸せです」と答えられる人間は、稀なのです。
 
なぜ僕がこのとき「幸せです」と答えられたのかというと、僕は幸せに気づいているからです
 

幸せとは、気づくものである

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ある人が70歳で死ぬとして、その死の直前に自分の幸せの答えが出ます。
 
 
色々あったけど、この妻と結婚して幸せだったなぁ…
 
息子にも手を焼いたけど孫もできて幸せだったなぁ…
 
仕事は大変だったけど、楽しかったなぁ…
 
 
しかし、もしこの人がその後奇跡的に回復し80歳まで生きるとしたら、この人は死ぬ10年も前に自分の幸せの答えが出たということになりますよね?
 
勿論、80歳までにまだ10年あるので、80歳のときの答えはまた違ったものになるでしょうが。
 
 
この人が例えば、20歳のときに自分の寿命が70歳の何月何日何時何分···と知っていたのだとしたら、それをゴールとして幸せを探すことになるので「幸せを70年間かけて探し出した答え」と言えると思います。
 
ですが、人間は自分の寿命を知ることはなく、人間の死はほぼ全て道半ばでの死です。
 
ということはつまり、この70歳で幸せの答えが出た人は、幸せを探してやっと見つけた答えではなく、単にその時に幸せに気づいた」と言えるのではないでしょうか。
 
 
幸せというのは70年間探し続けてやっと見つけたものではなく単に気づいただけなのであれば、20歳でも30歳でも「気づく」ことならば、誰にでもいつでもできることなのではないでしょうか。
 

幸せから目を背けないことで幸せに気づくことができる

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死を迎える直前に自分の幸せに気づく人間の頭の中はどうなっているのかというと、嫌な記憶は全て排除し幸せなことだけを思い出す」という脳回路になるわけです。
 
つまり、嫌なものを全て排除することで幸せに気づくことができます。
 
嫌なものを全て排除し、残ったものが幸せです。実はもうすでにここにあったのだと気づきます。
 
結婚して幸せになるためにはお金が必要だ…

お金の問題とか結婚のプレッシャーとかを排除すると、今彼女と過ごす時間が幸せだと気づく。
 
家族を養うためには多少辛くてもこの会社にしがみついてお金を稼がなきゃ…

お金が必要だから仕方なく働いている嫌な仕事を排除すると、子供の笑顔を見ることが幸せだと気づく。
 
上司にはいつも怒られてばかりだし、飲み会なんか行きたくもない…

仕事の中の嫌な業務を全て排除すると、一人で黙々とデータ分析をする時間が好きだと気づく。
 
出世するためには誰よりも残業をして土日返上でもっともっと働かなきゃ上には行けない!

「偉くなってお金持ちになってやる!」というキバッた目標を排除すると、今の仕事は意外と楽しいことに気づく。
 
死の直前には、
妻の笑顔
子供の成長
家族の楽しい思い出
楽しかった仕事
こういう幸せだった時間を思い出し、今ある幸せに気づきます。
 
ですがこれらは死の直前でなくても嫌なことを全て排除することによって気づくことは可能なんです。
 

豊かな社会が幸せに気づきにくくしている

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死の直前以外にも、自分の幸せに気づきやすいパターンがもう一つあります。
 
それは、人間の持つ防衛本能としてです。
 
人間は、絶望的な状況下にありながら死ぬことも許されないといった場合、防衛本能として「幸せに気づく」という脳回路になります。
 
 
例えば、豊かな日本に住む僕には想像になってしまいますが、どこかの国には今でも自分の意思に反して自由を奪われている人がいます。
 
ほぼ監禁状態で毎日強制労働させられ、解放の見込みもなく、誰かに助けてもらえる見込みもなく、希望もなにもなく辛い生活を強いられている人間がいます。
 
多分、いるでしょう。
 
そういった人が、それでも生き続けなければいけないといった場合、今ある幸せに気づくことによって生きる希望を見出す」という、人間の持つ防衛本能としてこういう思考回路に組み替えられます。
 
今ある数少ない幸せにでも気づかなければ、人間は生き続けることができません。
 
 
どこかで平和に暮らしているであろう我が子がいる…
という幸せ。
 
監視の目を盗んで僅かばかりの優しさを見せてくれる人もいる...
という幸せ。
 
今日も一日生きることができた…
という幸せ。
 
 
こういう人と比較するのは不謹慎かもしれませんが、現実にいるであろうそういう人と比べたら、日本人は日本に生まれたというだけで幸せです。
一つ気づけましたね(^^)v
 
 
日本は平和な国なので、高い理想を持ち一生懸命に努力することで、どんな高いところにだって到達できる可能性が誰にでもあります。
 
なので日本人は、高い理想を持ち、それに向かって一生懸命頑張ることができます。
 
しかし、その高い理想を若くして手にできる一部の天才もいれば、一生かかってようやく手にできる人はまだいい方で、多くの人は一生かかっても手に入れることができません。
 
何者にでもなれる可能性のある日本人はいつも空を見上げ続けるため、手元の幸せには気づきにくい。
 
 
実は「幸せ」は、自分の手の中に握りしめているのではないでしょうか?
 
手の中にない場合には、ポケットの中にしまっているだけなのではないでしょうか?
 
 
視線を落として手元を見てみましょう。
 
ポケットをまさぐってみましょう。
 
そこにはたぶん、忘れていた「幸せ」があります。
 
これが「幸せに気づく」ということです。
 

テルオのまとめ

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幸せになりたい!…
 
幸せになりたい!…
 
 
“結果論”の幸せを探し続けることは悪いことではありませんが、今ある幸せに気づくことで、「今」の生活が更に豊かになるのではないでしょうか。
 
今幸せでないと、幸せを探す辛い日々は乗り越えられないのではないでしょうか。
 
 
僕のような社会不適合者ではない多くの健康な日本人はたぶん、なかなかこういうことには気づきにくいでしょう。
 
日本人は自分と向き合っている暇などなく、仕事に忙しいからです。
 
 
自分の人生は仕事のための人生ではありません。
 
一度立ち止まって自分の幸せに気づいてみてください。
 
それができると人生、めっちゃ楽しくなりますよ!ヽ(*^。^*)ノ
 
 
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