僕の父親が自殺した。命日は忘れた。①「排気ガス(一酸化炭素中毒)」

chichinojisatsu-1-1
 
こんにちは。母子家庭で育ったテルオ(@undoteruo)です。
 
 
 
そんな記事を書いた理由というのは、「ただの生活の手段に過ぎない仕事が理由で死んでしまうなんてもったいないよ」という理由からなんですが、実はもう1つ理由があります。
 
それは、僕の父親の死です。
 
 
僕の父親は自殺をしています。
 
 
よく覚えていませんが、たぶん僕が21歳頃の話です。
 
 
世の中、理由がはっきりしている死ばかりではありません。
 
理由がわからない死も多く存在していることでしょう。
 
僕の父親もそうでした。
 
遺書めいたものは存在していたものの、幼稚園児よりもひどい書体で内容はさっぱりわかりませんでした。今でもわかりません。
 
 
残された人間は、その理由を想像するしかないわけです。そして、一生、死の理由を探し続けます。
 
一生泣き続けるわけではありませんし、僕も今ではへっちゃらですが、理由は一生探し続けることになります。
 
(訂正→僕はもう探すのやめました。でもたまに思い出しはします。思い出したので、今この父の自殺のことを書いています。)
 
 
死んだ人間にこんなことを言ってはアレなんですが、はっきり言って、邪魔なんです。
 
無断でひとの心の中に一生居座り続けるんですから。
 
そんな「邪魔くさい!」という僕の邪魔くさい体験から、人間の死、特に自殺についてこれまで何度か書いてきました。
 
 
 
ブログを始めて6ヶ月目。どこかで父の自殺について書きたいなと思っていました。
 
6ヶ月の締めくくりに父親の自殺について書くとは思っていませんでしたが、そろそろ書いてみようかなと思い立って話すことにしました。
 
 
自殺は本当に、残された人間にとっては、邪魔くさいものです。
 
 
死ぬなら、宇宙で、木っ端微塵になってほしい。
 

両親が離婚した日

 
僕が小学5年生の時に両親は離婚しました。そして僕は母親にくっついて行くことになりました。
 
その離婚直前まで、離婚について悩んでいた母は宗教にハマっていました。その宗教で僕は実は、「神の子」であることが判明しました(笑)。
 
 
離婚後も僕は年に1〜2回父親に会っていました。
 
父親は単純に、一人息子の僕に会うことが目的だったのだと思いますが、僕はお小遣いを貰うことが目的でした。
 
父があの世で聞いたら悲しいでしょうか(笑)。
 
まぁ、自殺したあなたに悲しむ権利はありませんが。
 
 
 
成人式の終わりにお小遣いを貰った。
 
それが僕が父親と会った最後になりました。
 
 

父親が自殺した日①

ずっと隠していた雲藤という名前

 
雲藤テルオ
 
 
プロフィールの中で、この僕の名前がハンドルネームだということは既に話していますが、この「雲藤」というのは両親が離婚するまで僕が実際に名乗っていた苗字です。
 
なのでまぁ、ある意味、本名です。
 
 
高校時代まで、親しい友人には苗字が変わったことは話していたかもしれませんが、それが「雲藤」だということまでは話していませんでした。
 
今ではこうして雲藤を名乗っていますが(ネットという隠れた場所で)、当時はその名前を知られることが恥ずかしくて隠していました。
 
 
小学5年という、小学校の途中で苗字が変わり、その離婚を機に転校することになりました。
 
ですが転校前の学校で使っていた彫刻刀や鍵盤ハーモニカにはしっかり「雲藤」と刻印されており、転校後も同じものを使わなければなりませんでした。
 
小学校の残りの1年半ほどはそれを隠すために苦労しました。「バレたらイジメられる···」と思っていたので、ずっと「雲藤」という名前は親しい友人にも隠していました。
 
 
ですが21歳のある日、そのずっと隠していたはずの名前を10年ぶりに突然呼ばれることになります。
 
そこから全ては始まりました。
 
 

偶然の繋がりによって父の死を知った

 
一応お互いに電話番号は知っていましたが、高校卒業以来話したこともない友人から突然電話がありました。
 
その電話で友人はこう切り出しました。
 
「テルオってさ、もしかして、雲藤って名前だったことある?」
 
 
他人からその名前で呼ばれたのは小学5年の時以来だったので驚きましたが、「うん」と答えました。
 
何かあるな···とすぐに感じました。
 
 
そこでその友人から、「雲藤という男が自殺した」ということを知らされました。
 
 
そして、その男には、一人息子がいると。
 
しかし、親戚中が探しているけど、見つからないのだと。
 
知っているのは、その息子の、名前だけ。
 
それは、「テルオ」というらしい。
 
 
たまたまその親戚の中に友人がいて、その友人から「そういう人を探している」と聞いて、「もしかして···」と思って電話をかけたのだと言います。
 
福島でもその苗字は珍しい名前で、あまり聞きません。聞くとすれば、僕と何らかの血の繋がりのある人間です。
 
雲藤という男が自殺して、その男には離婚歴があり、一人息子がいて、名前はテルオ。
 
日本中でこの条件に当てはまるのは僕しかいないでしょう。
 
 
ちなみに、この「テルオ」も実はハンドルネームです。本名も「ひろし」とかいうありふれた名前ではなく、これも珍しい名前です。
 
そういう理由からも、僕以外には考えられませんでした。
 
 
 
僕は成人式に買ったスーツを持って福島へと急ぎました。
 
 

排気ガス(一酸化炭素中毒)自殺だった

 
それは7月だったか8月だったか、暑い夏場の出来事でした。
 
 
まず、その友人の友人の親戚の連絡先を聞いて電話をかけました。
 
僕もぼんやりとは覚えていましたが、ちっちゃい頃に会ったっきりなので、顔も名前も覚えていないその親戚に電話をかけました。僕の父親の、弟の、僕と同い年の息子さんです。
 
別れた奥さんの連絡先を探してもどうしても見つからなくて困っていた。見つかって良かったと言っていました。
 
 
その電話で、大体の状況を知りました。
 
やっぱり父親は自殺だと、その親戚から直接知らされました。
 
 
僕の父に対する印象だと、強くて、生きることに貪欲で、ゴキブリでも食べて最後まで生き残る人間。そういう人間だと思っていました。とても自殺をする人間だとは、信じられませんでした。
 
殺されるだとか、事故だとか、それならわかるが、自殺···
 
あの親父が···
 
 
ちょっと、信じられませんでした。
 
しかしその親戚ははっきりと「自殺した」と言っています。
 
 
車内で、排気ガスで、自殺した。
 
 
そういう自殺方法だったと言います。
 
 
昔のテレビドラマでよく見た自殺方法です。
 
車のマフラーにホースをくっつけて窓から車内に排気ガスを入れて、ドアの隙間をガムテープで密閉して、エンジンをかける。
 
そういう方法で自殺したのだと言います。一酸化炭素中毒と言うんでしょうか。まるでドラマの世界です。
 
 
勿論僕にとっては練炭自殺も、電車への飛び込みも、ビルの屋上からの飛び降りも、全てドラマの世界です。
 
まぁ、その点、排気ガスとは、とりあえず誰にも迷惑のかからない方法だったのかな···なんて、福島への電車の中でぼんやり考えたりしました。
 
 
色々と頭の中では面倒な思考が始まります。
 
飛び降りなら衝動的だと理解できるが、排ガスということは、準備が必要です。少なくとも数時間前には自殺を決め、準備を整えなければなりません。
 
とても僕の父に対する印象とはかけ離れた方法のように思えてなりませんでした。
 
 
そんなことを福島までの3時間、ずっと考えていました。
 
 
エロサイトでも見てエロいこと考えようと努力しましたが、全くエロい気分にはなれなかったことを覚えています。
 

②へ続く

 
ちょっと長くなりそうなので記事を分割することにしました。
 
あと、意外と自分自身、父の自殺について書くのは疲れるみたいです。平気だと思っていたんですが、思い出す作業は意外と辛いのかもしれません。
 
エロいこと考えて休憩します(笑)。
 
 
 
次は、実際に父の自殺現場を見に行った時の話になります。
 
そこには父がいないだけで、現場はほぼそのままの状態でした。人間が死ぬと、その後はこうなるんだということを話そうと思います。
 
気持ちの悪い表現もあろうかと思いますので、続きを見る方は、一応覚悟して読んでください。
 
 
あ、まだ書いていないのにそんなこと言うと「気持ち悪くしなくちゃ!」とハードル上がるので(笑)、実際書いてみて覚悟が必要だと思ったらその時に注意は言うことにします。