5.テルオが愛する妻たんに出逢うまで「岩手の女編」

とり5

教訓その5 [運命なんてものは結果論だと思う]

 

愛する妻たんに出逢う5年前・・・

テルオ、高校3年生の時に2人目の彼女できる。

経緯は割愛しますが、岩手県に住む彼女でした。

福島から岩手?
疑問ですよね。
割愛です。
想像におまかせします。

遠距離なのでピッチ代めっちゃかかりましたね。
当時通話定額なんてなかったので、バイト代はほぼ電話代に消えました。

学校ズル休みして岩手まではるばる鈍行で会いに行った思い出が懐かしいです。
あんなこともうできませんね。

今思うと吐き気がしそうなほどの時間がかかりました。
疲れたし寒いし雪降ってるし。
なんの才能も努力も無い人間でしたが、若さだけはありましたね。若さだけは。

いつ付き合ったのかいつ別れたのかも微妙なまま、僕が東京に出て20歳過ぎまで連絡は取り合っていたような気がします。

手紙のやり取りもかなりしてました。
結構な量ありましたね。
実家帰って探せば多分残っていると思うけど、恥ずかしくて探す気にもなりません。

今彼女はどうしているんでしょうか。
もう連絡もとれないので分かりません。
LINEにも出てきません。
きっと幸せに暮らしているでしょう。
そうに違いありません。

誕生日が同じで運命的なものも感じていた気がします。

結局運命ではありませんでしたが。

同じ誕生日に運命なんてありません。
たまたまです。たまたま。

同じ誕生日が運命の人ならば、圓楽師匠と僕は運命ってことになりますが?

人間て運命好きですよね。
運命に頼らないと生きていけないんでしょうか。
自分の選択が運命であると思わずにはなかなか前へ進めないんですかね日本人。
運命に背中押してほしいんでしょうか。

それこそ石を投げれば運命に当たる状態です。

サラ⋅コナーも言っていました。

「運命なんてものはない。運命は自分で切り開くものだ」

サラ⋅コナー知らない人ゴメンナサイ。
サラ⋅コナーの話は置いといて

運命なんて死ぬ直前に判明するものです。

死ぬ時がその人のエピソードのラストな訳ですから、その時に考えましょう。

もしかしたら
「死後の世界編」が続くのかもしれませんが。

それも死んでからしか分からないので、
考えるのはよしましょう。

でも逆に、何でも運命と思えれば前に進めまくれるということでしょうか。
僕も妻たんとの出逢いは運命だと思っているので!
運命とか言ってる奴はバカだ!なんて言いません。

運命も使いようってことでしょうか。

自分で切り開いたのかどうかは分かりませんが、死ぬ直前に運命確定するように幸せになるだけです。

ちょっとブレブレで理論崩壊していますね。

申し訳ない。

続きを読みたい!

とり6

6.テルオが愛する妻たんに出逢うまで「東京の女編」

2016.10.05

 
 
 
 
 
 

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