どうもはじめまして。雲藤テルオです。
一発目なので緊張しています!
誰も僕に興味なんかないことは重々承知しているのですが、自分のことは書きやすいので、書きやすいことから始めてみようと思います。
まずは、僕が愛する妻たんに出逢うまでに出逢った出逢いを、自己紹介も兼ねて教訓と共に振り返っていきます。
教訓その1 [人を笑わせる技術は大人になっても役に立つ・・こともあると思う]
テルオが愛する妻たんに出逢う34年前の1982年・・・
「ファミコン発売開始」とか「オイルショック」とか
当時の社会的出来事とか合わせて書いた方が良いんでしょうが
面倒なのでやめておきますね。
僕の出身は福島県。
あの原発事故で有名になった福島県です。
いわき市の湯本という温泉町です。スパリゾートハワイアンズのあるところですね。
就職活動の際、震災エピソードを語ると食い付きがいいので、当時よくあることないことネタに使わせてもらいました(笑)
出身者なんだから語る資格あるよね!
出身者なんだから多少の着色許されるよね!!
保育園時代に初恋を経験しました。(多分これが初恋と思われる)
・・・やっぱ興味ないよね(笑)
でも決めちゃったからしばらくこれでいかせて!
いつもちょっかいを出して先生に怒られていた記憶があります(笑)
好きになるといじめちゃうタイプなんですね。
となりのトトロで言うところの“カンタ”タイプです。
妻(彼女)を実家に連れていくと、母親がニヤニヤしながら子供時代のアルバムを携えて登場するという“あるある”も経験しましたが、
その初恋と思われる女の子との自分の部屋でのツーショット写真が出てきました。
こんな写真初めて見たぞ!
やるなーオレ!(笑)
小学2年生の時にも女の子を好きになった記憶があります。
ちょっとハーフっぽい見た目で可愛かったんですけど、すぐ転校しちゃいました。
当然いじめました
写真探そうと思ったんだけど面倒なのでやめました。
結局その程度です。
小学校5年生の時に両親が離婚。
僕は母親に引き取られ、名字も変わりました。
離婚と同時に引っ越したのですが、名字が変わったことを知られたくなくて必死に隠してましたね。
大人になった今ではたまにネタに使ったりしていますが、当時は本当に恥ずかしくて隠したかったんです。
彫刻刀の柄の部分に旧姓の名前が彫られていたので上からシールで隠していたのですが、剥がれないように図工の時間は誰にも触らせずに必死で死守していた記憶があります。
せっかくだからフル活用して笑いに変えろよ!
って今ではもったいなかったなーなんて思いますが。
そんなの小学生できないよね。
僕は極度の人見知りのため、笑いを取って「面白い人」として生きる術を中学時代に何となく身に付けます。
中学生でテルオは笑いに目覚めてしまいました。
ここから人生が狂いだしたとも言えます(笑)
「天然キャラ」も中学時代に身に付けました。
① 不意に転ぶ→女子にウケる→女子先輩に「可愛い~❤」と可愛がられる
② 授業中にすっとんきょうな答えを発表する→男子女子共にウケる
③ 家のテレビのリモコンを間違って学校へ持っていく→隣の席の女子爆笑
④ テストで面白回答を優先する→先生を笑わせる
⑤ 漢字を間違えて音読する→クラス中が笑う
勉強そっちのけでこんなことばかり考えていました。
中学校生活で一番僕が悩みに思っていたことは④の「テストで面白回答を優先する」です。
答えが分からない時はいいんですが、答えは知っているのに同時に面白回答が浮かんでしまった時は・・・どちらを取るかマジで悩みました。
何考えてもいいけど、とりあえず勉強しろよな!
しかも、迷惑がっている人も一定数いたであろう。
中学卒業後、工業高校に進学。
高校でもやっぱり人見知りのため、なかなか友達もできず、唯一の「笑い」を武器になんとか乗りきりました。
人見知りの僕が学校で生き抜くために何となく身に付けたのが「笑い」でした。
人それぞれですが、僕は勉強も運動も苦手だったので自然と「笑い」を身に付けたのでしょう。
今でも役に立ってますね。
女の子を引っかけるときはまず笑わせますからね。
これがなかったら女の子と目もあわせられません(笑)
いまだにね
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