幸せに生きるためには学ぶ意欲が役に立つ!適応障害から僕が学んだことシェアするよ!

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こんにちは。テルオ(@undoteruo)です。

今日はまた昨日に引き続き、僕の適応障害を患った時の体験談を書いていこうと思います。
今回は適応障害とうつ病からは少し離れて、僕が適応障害を患ったことで学んだことや新たな発見を踏まえて、幸せに生きるための仕事の考え方を話していきます。

適応障害に僕がなった経緯とか、適応障害とうつ病にならないための方法とか知りたい方はとりあえずこちらの記事を↓

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うつ病になる前に逃げるための方法。逃げることは悪じゃないって知ってた?

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パワハラ上司と自分は同じ人種だと知った 

たまたま知ったんです。自分とその上司は、もしかしたら同じ人種なのではないか・・・と。ある出来事によって。
その辺の話をとりあえず。

 

僕は上司とのある事件がきっかけで適応障害になり、仕事を辞めました。
具体的に話そうとすると前後も含めて細かく話さなければいけなくなるので、手を出す暴力以外のパワハラとしておきます。
暴言とか行動とかですね。
そこは想像してください。

その事件が起こって大体10日後くらいに夏休みに入ったので、その上司とはそれ以来距離を置くことが出来ました。学校給食の仕事でしたので夏休みというありがたい休みが存在する仕事なわけです。
夏休み明けには別な学校へ異動したので、ほぼそれが最後で、もうそのパワハラ上司とも会うことはないという状況で迎えた夏休みでした。

ですが、前回も言ったように、夏休みから既に適応障害の症状は出始めていました。
その症状の1つに、常にイライラして行動や言動が暴力的になるというものがあります
僕も案の定、常にイライラしていました。

そんなある時、妻と喧嘩になり、僕がテーブルを足で蹴って皿が割れたんです。
その時に妻に言われたんです。

「パワハラ上司と一緒じゃないか!」

もちろん僕は一緒なんかじゃないと言い返したわけですが、そんな自分の行動に恐怖を感じました。
足でテーブルを蹴って皿を割るなど、今までしたことありませんでしたし。

それから公園で夜遅くまで時間を潰すという日々がしばらく続きました。8月だったので夜でも平気でいつまででも外にいれましたし。
喧嘩した手前、妻と顔を合わせるのが気まずいとういのもありましたが、それ以上に自分が怖かったんです。次はもっと大変なことをしてしまうんじゃないかと。

 

公園で色々考えました。

パワハラ上司と一緒じゃないか・・・

少し冷静になったらその妻の言葉も頭の中に入ってきました。

確かに同じだ・・・

僕はパワハラ上司と同じことをしている。
ということはつまり、パワハラ上司も僕と同じだということ。
僕と同じ状況で、その上司は仕事をしているということ。

 

やっぱり仕事を辞めなくては!

辞めなくては僕も同じ人間になってしまう

 

自分の未来を見せてくれた上司

このように、僕はあの嫌いな人種のパワハラ上司と同じ人種だと知りました。この状態で “頑張って” 仕事を続けているのがあの上司なんだと知りました。

であるならば、僕も嫌いなものを克服しようと “頑張り” 仕事を続ければ、あの嫌いな人間になってしまう。そう思いました。

ですから、今ではその上司にも感謝しています。自分の未来を見せてくれたわけですから。
僕にとってはある意味 “必要な人間” だったのかもしれません。

こういう時に、「今では感謝している」なんてよくテレビで耳にしたりします。
「嘘つけ!そんなわけないだろ!」と思って聞いていましたが、こういう時ってホントに感謝ってするもんなんですね。初めて知りました。

それと、感謝と同時にその上司に哀れみも感じています。

日本の教育の犠牲者のその上司に。
 

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年功序列と終身雇用を基本とした教育

もう多分3~4回言っていると思いますが、このフレーズ気に入ったので何度も言いますが、
人間には無数にあるはずの逃げ道の扉の1つ1つに鍵を掛けていくのが今の日本の教育です。

なんか気に入ってますコレ(笑)。(あと何回か使う予定です)

年功序列と終身雇用。今だにこれを基本とした教育が行われています。
 
ゆとり教育よりも先に廃止しなければならない考え方なはずなんですが。

この時代遅れも甚だしい教育の犠牲者が僕のパワハラ上司で、その孫犠牲者が僕です。もしかしたらひ孫かもしれませんが僕は。

そしてたまにその犠牲者の列の中から飛び出す人間がいます。僕のように。僕は元々何でも疑問を持つ人間なので、飛び出せたのかもしれません。
僕は、自分が納得するまでしつこく聞く性格なので、別な上司にもうっとうしがられていたに違いありません(笑)

ですが、幼い頃から教育を受けている以上、大部分の日本人は列から飛び出すことは困難です。逃げ道の扉の存在は知っていますが、鍵を探すことまではしません。
そんなことよりも列をはみ出さないことに必死なんです。
大部分の日本人は。

学ぶ意欲が役に立つ

僕の最大の長所に、自分の考え方と違う意見でもとりあえず聞いて考えてみる」というものがあります。要するに、学ぶ意欲です。

皆さんも経験あると思います。会社の研修なんかでの退屈な話。
それに加え学校給食という仕事は、学校給食協会やら教育委員会やら文科省やらの役人の話を聞くといった会もあります。

そのほとんどがもう知っている当たり前の話だったり、役人の官僚理論だったりするわけです。眠い目を擦りながら、、みんな寝ています。
僕はというと、眠い目を擦りながら、、聞いちゃうんです。
僕、以外と真面目なんで、何となく聞いちゃうです。こういうの。

違う違わない、信じる信じないに関わらず、自分の周りにはいないような人種の話って面白いんですよね。言わば、自分にとって “新しい話” なわけですから。

以前話した、会社のマニュアルの話でもそうなんですが、初めてマニュアルというものが導入されるという時、みんな反発するんですよね。やっぱり。
自分達の今までやってきたことの方が正しいと思って、マニュアルをバカにして誰も従わないんです。

でも僕の場合は、自分が正しいとは思いつつもマニュアル、一回試してみるんです。
その結果、マニュアルは所詮マニュアルだなと思う一方で、「このマニュアルの方が確かに効率いいな」と思う、今までの自分の中には無かった新しい発見があるんです。
マニュアルは所詮マニュアルだなと感じたことでも、「もう少しこうすれば良いマニュアルになるのに」とか、そのマニュアルの問題点までもが見えてくるんです。

みんながバカにして思考を停止している最中に、僕は学んでいたんですね。

このように、人の話を聞くという「学ぶ意欲」は良いことずくめです。本当の意味で私達が幸せに生きるためには、学ぶ意欲が役に立つんです。新しい知識を手に入れて、自由で幸せな未来を切り開くことができるんです。

 

これを日本人はやろうとしないんですね。

明らかに追い付けないボールでも、諦めずに追うことが大切で

一度やると決めたら途中で投げ出すことは許されない

列を乱さず足並みを揃え、集団から外れることは恥ずかしいことで許されない

苦手なことは頑張って克服して定年まで会社に尽くす

 

義務教育を真面目に学んだ僕のパワハラ上司もこれに縛られています。自分の部屋に閉じこもり、学ぶ意欲を失い、思考を停止して。
残念ですが。

僕は学んで幸せになりたいのでお先に失礼します。

 

テルオ的まとめ

僕は、妻の「パワハラ上司と一緒じゃないか」という言葉を聞き流さず受け入れて考えたからこそ、上司を理解することができたし、その次の段階へ進むことができたんです。

自分とは異なる考えの人間の話を聞いて受け入れて考えるという学ぶ意欲。

是非あなたも学ぶ意欲を持って、幸せに生きてください。
 

 
 
 
 
 
 

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